2003年10月18日
滋賀県木之本町坂口より

家を7時30分に出た時は曇っていたが、湖北はすばらしい秋空が広がっていた。湖国バスの坂口バス停裏に駐車し国道を横切り歴史のある飴屋さんの前を行くと朱塗りの鳥居が見えてくる(9時06分、写真左)。その横を少し歩くと左側になぜかいつも閉まっている弘善館(資料館)があり、北陸自動車道の高架をくぐり抜けたすぐの左手にある菅山寺登山口の案内板に従う。つづら折れの登山道は栗のイガやアケビの皮、落ち葉が一杯で、秋の気配を感じるがやはり歩き始めると暑い。北陸自動車道の車の行き交う音が徐々に遠ざかると、汗が首を伝い始める。春に来た時もかなり暑かった事を思い出した。確かもうじき大きな石仏があった所では・・・と思っていると到着(9時39分、写真右)。
しばらく休むと汗が出ている体が寒くなる。やはり秋だ。その証拠にナナカマドが赤く色づき始めている。緑の中で赤がいいアクセントになっている。少しずつ木々も紅葉してきてはいるが、本格的な紅葉にはまだ早いかな(写真左)。抜けるような青空と紅葉。
菅山寺との分岐までの道すがらこのような小さな石仏が祀ってある(写真左)。やはり湖北四大寺の一つ菅山寺へ行く道だ。囲いの中に祀ってある石仏もあれば、雪の重みのせいか首から折れてしまって頭のない石仏もかなりある。分岐点到着(10時00分)。ベンチが置かれた休憩ポイントで余呉湖ウッディーパルからの遊歩道との合流点でもある。春には地元の人たちがビールを片手に長靴をはいてタケノコ掘りに来ていたが、今日は誰も来る気配がなく本当に静かな山行きだ。ここからは琵琶湖や竹生島、行市山が見える(写真右)。
分岐から80mほど急坂を下って名刹菅山寺到着(10時20分、写真右)。この山門横の二本の大ケヤキは圧巻で幹のねじれたこぶに年代を感じる。1000年ほど前に菅原道真公がお手植えになったものだそうだ。
写真左は菅山寺本堂。菅山寺は764年に僧照壇が竜頭山大箕寺として開基し889年には菅原道真公が再興し大箕山菅山寺と改称したとされる。既にお寺は無住職となっており、どの建物も荒れ果てた感はあるが、苔むした石垣や宿坊跡に繁栄していた当時の様子が想像できる。本堂横には国の重文である梵鐘が今にも落ちそうな様子で見ることができる。うっそうとした林の中にある朱雀池(写真右)。野鳥の声だけがするこの静けさの中で鯉が数匹悠然と泳いでいる。春に来た時、池の畔で集音機をもった人を見かけた。本当に静かで里に近い山だが深山の趣が充分味わえる。紅葉にはまだ早いが紅葉の時期はさぞかし美しいことだろう。この池の横に天満宮があり、受験生の絵馬がかけてあるところから察するとここを訪れる受験生が多いのだろう。
急坂を登り返し分岐で休憩をしていたら今日初めての登山者と出会った。私たちが来た坂口から登ってみえた二人連れだ。その人たちも菅山寺へ下りて行かれた。分岐から後はアップダウンを繰り返し田上山分岐の標識を右に見送り、しばらく行けば呉枯ノ峰頂上532.5mに到着(11時28分、写真左)。頂上はあまり広くなく展望もきかないが、この標高で一等三角点を踏んだというのが嬉しい。登頂記念のプレートを見ていると「一等三角点研究会」なる団体が今年の7月に東京の町田市から訪ねてきていた。やっぱり一等三角点なんだ。低山の醍醐味であるのんびり昼食とおしゃべりを堪能しているところに、さっき出会った登山者と思いきや、マウンテンバイク(MB)に乗った若者二人がやってきた。彼らもここで休憩らしく、しばらくおしゃべりに付き合ってもらった。大会に備えて初心者とのトレーニングらしく、帰りは伊香高方面へ下りると話してみえた。所要時間15分くらいとか。恐るべしMB。颯爽とMBに乗っていく二人を見送った後、しばらくしたら先程の二人連れが登ってみえたが既に昼食を済まされたのか、すぐに頂上を後にし田上山へ向かって行かれた。我々もそろそろ店じまいをしよう。頂上で出会った以外、誰とも会うことなく今日の山行きを終え、坂口のバス停から呉枯ノ峰を振り返る(14時13分、写真右)。木之本まで戻る車中から小谷山、己高山、伊吹山を眺めた。今度はどこの山へ行こうかとあれこれ考えるのがとても楽しく、だから仕事も続けていけるのだと改めて思う。さてさて来週はどこへ行こうか。

※呉枯ノ峰には一等三角点が埋設されているが、現在では眺望は全くなく、眺望を期待するとがっかりすることとなる。ところで山名であるが、スタンダードなガイドブックとなっている片岡浜子他『分県登山ガイド滋賀県の山』(山と渓谷社、1995年)はもとより、手元にある少し古い山本武人『近江湖北の山』(ナカニシヤ出版、1985年)など、多くの本では「くれかれのみね」と呼んでいる。しかし後者には「この峰は地図にも名前が載っていない。地元の人に名前を聞いても知らない」と紹介されている。一方、草川啓三『近江の山を歩く』(ナカニシヤ出版、2000年)では「くれこのみね」とルビを振っている。国土地理院が公開している「一等三角点の記」によると、「呉枯ノ峰」と表記し、これに「くれこのみね」とルビを記している。滋賀県伊香郡木之本町大字渋谷山346番地に所在し、明治17年11月に選点、翌18年9月22日に三角点が埋標されている。ただし標高は531.86mと上記「点の記」は記している。三角点の名称がどのように付けられたのかは興味深い問題であるが、必ずしも地元で山名として呼ばれていたものがそのまま点名として採用されるばかりではなかった。むしろ三角点設置以前は山頂にどれほどの地名がつけられていたかを考えると、点名命名の事情が見えてくるようで興味深い。これについては、いつか機会を改めて考えてみたいと思う。