「悲しいほどお天気」-揖斐谷-

SONY α7RⅡ + TOKINA FíRIN 20mm F2 FE MF で星景写真を撮る






 4月はずっと天候に恵まれない。例年に比べて黄砂が少ない代わりに、梅雨時のような湿度の高い状態が続いている。先日の春の嵐の前などは、夜の空気がまるで梅雨の夜空のようにもやもやした空気に包まれた。飽和水蒸気量に迫る水蒸気を含んだ夜の空気に、レンズはたちどころに結露する有様だった。

 今回、Tokinaが新しく発売した
FíRIN 20mm F2 FE MF を試用する機会に恵まれた。Eマウント専用、しかも新しいレンズには珍しくMFである。カラスモールド非球面レンズ2枚、超低分散ガラスを3枚含む11群13枚構成の 20mm F2 の大口径広角レンズ。しかも軽量490グラム、φ62mmとコンパクト。MFであるから当然のことながら電源on-offによる焦点の移動もない。
 AFはないが、SONYのEマウントに対応しているだけにMFアシスト機能にも対応していて、使い勝手は決して悪くない。

 今回のテーマは Firin 20mm は星景撮影に使えるか、である。
 残念ながら現在の SONY Eマウントレンズには星景撮影に適した超広角~広角レンズは少ない。明るい単焦点レンズも含めたこれからの充実を強く望みたい。
 Firin はMFとすることで大幅な軽量とφ62mm、そして比較的入手しやすい価格を実現している。α7RⅡと合わせても1100グラムに収まるコンパクトな重量は、山岳での星景撮影において使用する機会の多いポタ赤にマッチするものといえ、大いに歓迎されるものといえよう。

 さて「4月こと群」を前にしたこの夜、ようやく空の雲がとれたのでこれを持ち出してみた。
 天文薄明を終えたばかりの空は、薄雲が張り出す気配が漂っている。赤道儀を据えて、実質撮影時間は30分余り。街灯が消える前に空は雲に覆われたため、木々は赤く照らし出されてしまっている。残念だが、まあこれも、よしとしよう。
 
 SONY α7RⅡ + FíRIN 20mm F2 FE MF。
 2017年4月18日20時49分撮影。ISO1600、F2開放、30秒、高感度ノイズリダクション・長秒間ノイズリダクションはともにオフ。コンポジット処理無しの1枚画像。赤道儀使用。Photoshopでビネッティング処理。

 右側中程にふたご座のカストルとポルックス、その左にかに座の散開星団M44(NGC 2632 プレセベ星団)、中央下寄り右側に冬の大三角の1つプロキオン、その左にはM48(NGC 2548)が見える。期待以上の写りだ。

 このレンズの描写だが、開放でもサジタルコマ収差は少なく良好である。F2.8に絞ると収差はさらに抑えられるが、その差はわずかである。このレンズだったら積極的に開放で使用したい。それによって必要以上にISO感度を上げることも押さえられ、露光時間も押さえてポタ赤の精度を補うことができる。ただし試用したレンズには左側に像の流れが見られた。画像の端に近づくにつれて大きくなっているが、絞ってもあまり変わらなかった。右側には見られないためおそらくレンズの個体差だろう。試用したレンズはフェアで展示されていたもののようで、フロントキャップも紛失した状態で貸し出されてきた。ベストコンディションとはほど遠いものだったのだろう。

 これから続く新月期。このレンズを再び使用する機会が訪れるよう、天候に期待したい。









 GPV気象予報によると0時前後には雲が切れるらしい。
 仕事をしながら窓から外をのぞくと、切れそうな予感にあわてて出る。

 雲の流れが速く、次々と流れ込む。ただし北からの雲なので、体感気温と湿度は低い。念のためヒーターを巻き付けて、撮影。画像は雲の合間に撮影した1枚。北極星の下に雲がわき出ているが、北斗七星が見事に捉えられている。左上にはかみのけ座の散開星団Mel 111が写し出されている。

 SONY α7RⅡ + FíRIN 20mm F2 FE MF。
 2017年4月19日23時52分撮影。ISO1600、F2開放、42秒、高感度ノイズリダクション・長秒間ノイズリダクションはともにオフ。PRO1Dプロソフトン(A)使用。コンポジット処理無しの1枚画像。赤道儀使用。Photoshopでビネッティング処理。





 ユーミンの8枚目のアルバムに「悲しいほどお天気」(1979年)がある。
 「ジャコビニ彗星の日」「緑の町に舞い降りて」などが収録された、僕の好きなアルバムだ。

 この夜は星を撮りながら、このアルバムが心に浮かんだ。
 こんな夜は悲しいほどお天気なのだと、自分にいい聞かせる。

 好きなように生きて、生き尽くして彼は突然逝った。
 幸せな人生だったに違いないと、自分に言い聞かせる。
 僕の教え子42歳、たった一人で旅立った。
 葬儀は明後日、僕は同じ村の、同じ班の班長として葬儀に参列する。
                                        (20170419)