20131129 夜明け前に輝く彗星
−ラブジョイ彗星(C/2013 R1)を撮る−
12月に大彗星となるかと期待されたアイソン彗星は太陽最接近に際して彗星核が崩壊し、もはや肉眼では見られないという。
一方、2013年9月に発見されたラブジョイ彗星(C/2013 R1)。
夜明け前の東の空に肉眼でも見ることが出来るまでに発達した。
月もなくて撮影の好機だけれど、あろうことか赤道儀が2台とも故障。
ポタ赤はギヤ損傷、GP2はおそらく断線で、何とも悔しい。
修理が終わるまでは、星が流れない程度に短時間の固定撮影で急場を凌ぐことにする。
彗星核を基準に44秒間露光相当の加算平均コンポジット処理をしてみたものが、この画像。
苦し紛れだけれど、まあ見られるかな。
ラブジョイ彗星は年末まで見られるけれど、月が邪魔をしない頃までに修理が終わることを期待。
今年1年を振り返るには早すぎるけれど、今年はいろいろなことがありすぎた年だった。
年末にかけても、心が落ち着かない予感がしている。
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Yumingの『悲しいほどお天気』は僕の大好きなアルバムだ。
あの頃の僕は、徳山村塚にいた。
徳山村に暮らすようになった1978年春、僕の心は傷ついてボロボロだった。
まさか今日まで、ずっと徳山村に関わり続けることになるとは考えてもいなかった。
少なくとも、初めの1か月は。
このアルバムが発売されたのは翌年、確か1979年12月のことだったと思う。
近づく冬を前に、冬支度を兼ねて町へ出た時に買ったことを覚えている。
この時、徳山小学校塚分校は教員は僕1人、児童は3年生1名、4年生1名の2名だけだった。
給食調理員さんを含めても、合わせてわずか4名の分校だったが、僕はいつの間にか徳山村に骨を埋めたいと考えるようになっていた。
しかし10年目を迎える春に村は廃村となり、僕は1つ下流の藤橋村へ引っ越した。
つらい引っ越しだった。
このアルバムに「ジャコビニ彗星の日」が収録されている。
曲は僕の生き様とリンクするところがあるらしい。
大好きなこの曲を聞くと、僕は今も涙が出そうになる。
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ジャコビニ彗星の日
作詞:松任谷由実
作曲:松任谷由実
夜のFMからニュースを流しながら
部屋の灯り消して窓辺に椅子を運ぶ
小さなオペラグラスじっとのぞいたけど
月をすべる雲と柿の木ゆれてただけ
72年 10月9日
あなたの電話が少いことに慣れてく
私はひとりぼんやり待った
遠くよこぎる流星群
それはただどうでもいいことだったのに
空に近い場所へでかけてゆきたかった
いつか手をひかれて川原で見た花火
夢はつかの間だと自分に言いきかせて
シベリアからも見えなかったよと
よく朝弟が新聞ひろげつぶやく
淋しくなればまた来るかしら
光る尾をひく流星群
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ジャコビニ流星群がやってくると大騒ぎしたのは、僕が高校生だったころ。
僕もあの夜、いつまでも夜空を見上げていた。
世紀の大彗星と期待されたアイソン彗星は、肉眼ではもう見られない。
僕は、一期一会の彗星に想いを寄せる。
はかないからこそ、想いを寄せる。