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例年より早く雪が山々を白く埋め尽くした昨年12月。12月に一度も山へ行かなかったことは、初めてだ。おかげでこの冬は既に7日間もスキーをすることができたが、1月も一度も山へ行けずじまいになると寂しい。寒には入ったものの、どうやら寒波も一段落のようなので、連休最後の日は雪どけそっちのけで、近くの山へ出かけることにした。目的地は近場で揖斐の城ヶ峰。あまりにも地元すぎて、調べてみると1998年に登ったきりだ。ただしピストンではつまらないので、城台山〜城ヶ峰〜東ノ山と巡って、周回することにする。揖斐の三輪神社横の駐車場に車をとめて、9時34分出発(写真左)。暮れの大雪以来寒い日が続いていて、揖斐の山々は例年以上の積雪がある。ザックにカンジキをくくりつけての出発。写真右は一心寺から見た伊吹北尾根。一心寺は播隆上人が開基とされている。 |
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一心寺をすぎると、雪が増えてくる(9時55分、写真左)。この辺りはまだ歩く人がいるとみえて、真ん中には地肌が見えている。写真右は池田山と小島山の間にある、春日谷越しに見た伊吹北尾根の御座峰。 |
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快晴の今朝は冷え込み、雪がガリガリに凍結していて、壺足でも沈まない。春先によく見られるこんな状態を、旧徳山村ではカッテラ(塚)とか、イテガリ(門入)とか言ったものだ。キックステップで城台山山頂まで登る(10時08分、写真左)。城台山は地元では「ばんりゅうさん」と呼ばれ、親しまれている。揖斐城跡で、山頂が中心の曲輪となる。城台山山頂から見下ろすと、一面真っ白な世界が広がっている(写真右)。 |
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ここまで登ってくると、凍結しない粉雪のために、埋もれるようになる。山頂でカンジキを付ける。昨日のものだろうか、山頂までは壺足の足跡が見られたが、ここからは動物たちの足跡だけとなった(10時18分出発、写真左)。雪のために倒れた樹木をまたいだり、くぐったりしながら反射板に到着(10時57分、写真右)。 |
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反射板からは濃尾平野の北西端が広がっていた。向こうに見えるのが池田山、その奥に養老山と、間に霊仙山、右奥に伊吹北尾根が見える(写真左)。さらに尾根づたいに歩いていくと、樹林越しに城ヶ峰が見え始めた(10時57分、写真右)。この辺りの低山は、夏でも訪れる人が少ないのだから、冬はなおさらだ。指導標も赤テープも何もなく、地形図とコンパスだけが頼りのルートファインディングとなる。 |
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最後の急登をキックステップで登る。所々に樹木が倒れていたり、木の枝が折れていたりして、雪のこぶだと思って足を乗せると、踏み抜いたりする。結構やっかいだ。途中で振り返ると、すばらしい景色が広がっていた。 |
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11時26分、城ヶ峰山頂に到着(写真左)。三角点は雪に埋もれている。よく登山者が木の枝に登頂の印に木札をくくりつけているが、ここにはそれも見られない。写真右は山頂から見た舟伏山。独特の山容はどこからでも見分けることが出来る。 |
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写真左は山頂から見た飯盛山。この山の姿も独特だ。かつて図りーんシーズンに何度もここへ登ったことがあったが、ここから派生する尾根をつかみかねて、苦労したことがあった。地形図とコンパスを現地形と照らし合わせて、東ノ山へのルートを確認する。途中のピークで右へ派生する尾根にだけは踏み込まないように、地形図を頭に入れる。ついでに腹ごしらえ。11時40分、山頂を出発。 |
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けものみちと言う言葉があるが、まさにその通り。ニホンジカや野ウサギの足跡が尾根に沿って付いていた。足跡が途中で尾根をはずれたかと思うと、いつの間にか尾根へと戻っている。何が何でも尾根筋を歩こうとしている自分が、ラッセルで苦労しているのに、何事もなかったかのように目の前に再び足跡が現れたりする。動物たちは歩きやすいルートをよく知っているのだ。それでも所々、深く足を踏み込んでいる所を見ると、シカにとっても大変な大雪なのだろう。足跡の上に、茶色く凹みが出来ているのを見ると、シカの胴体にまで雪がついていることがわかる。結構必死で足を運ぶと、西には伊吹山が白く頂を見せていた(写真左)。12時26分、東ノ山林道へ出た。ところで、途中に散弾銃の銃声を2度聞いた。狩猟期なのだろうが、撃たれたらたまったものではない。こんな方から人など来るはずはない、と勝手に誤解はして欲しくないものだ。 |
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東ノ山からは林道歩き。林道には無数の動物たちの足跡が付いていた(写真左)。人間の足跡はここにはなく、冬の間は動物たちの優先通路となっているらしい。写真右はカンジキの跡を振り返って。これで積雪は70〜80センチは軽くある。吹きだまりは1メートル近くあった。 |
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13時19分、下山。除雪済みの道路に腰を下ろして、やれやれ。カンジキもここで外す。ここから、ぐるっと山麓を歩いて三輪神社へ戻ったのが14時27分だった。これが一番堪えた。それにしても好天に恵まれて、今年初めての山を歩くことができて、感謝している。
※城ヶ峰はその名の通りに中世城郭の遺構がある。これに気づいたのは、1998年に初めてこの山を登った時だった。同年には略測調査と2度の補足調査の計3度の調査を行った。おそらく学史上、最初の調査であるはずだ。2002年になって、岐阜県教委によって城ヶ峰の城郭遺構の略図が公表されたが、その内容については当方の調査結果とは一部異なる点がある。詳細については、後日「山に歴史を求めて」で紹介したいと考えている。 |