2005年8月4〜5日
長野県白馬村猿倉より
レリーフの等高線は20m。スケールの単位はm。
(画像のうちいくつかはクリックすると拡大画像を表示します。戻るときはブラウザの「戻る」から。)
第1日(猿倉〜白馬大雪渓〜白馬岳頂上宿舎)
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() ※今回の山行では同行者所有のデジタル一眼レフNIKON D70sを借用、それに交換レンズと一眼レフ用の三脚を持参した。これまではその重量に躊躇して、高い山では敬遠してきた。第一、軽くなったとはいえ一眼レフを首から提げて歩こうものなら、首がしめつけられてしまう。これを克服するためのグッズがニコンから提供されている「マルチ・ジョイント・ストラップ」。ザックから左右二本のストラップで支えるため首には負担にならない。先だっての白馬岳登山で、デジタル一眼としては最重量級のNIKON D2Xでこのストラップを使用している人から教えてもらったものである。たしかに首には負担にはならないが、それだけの重量を抱えることにはかわりがないので、行動性とトレードオフとなることは覚悟しなければならない。それにしても大きなカメラを持って来ている人には、ただただ脱帽。 ※今回も白馬山荘を敬遠して村営宿舎。夕食はリッチにレストランでのサーロインステーキのディナーセット。顔なじみとなってしまった小屋のレストラン担当の人が、「新しいソースを作ってみましたので、よかったら試してみてください。」と2種類のソースをわざわざ用意してくれた。醤油味で山葵が刻んであった新しいソースがとてもおいしかった。こちらが定番になるといいなぁと思ったりした。この日の部屋は、定員48名の所、3人組が1組、小学生ぐらいからの子ども3人を含む家族5人と、我々2人の計10人だった。登ってくる途中で、グリーンパトロールが「今日は400人。うち、白馬山荘が300人、村営宿舎が100人。」と言っていたが、夕食が130人余りだったので、ドンピシャというべきだろう。平日とあって、空いていた。 ※翌朝の朝食は弁当にしてもらって、5時に出発と決め、早めに就寝した。この前の時のように、土砂降りの雨が降っていたらどうしようと思ったが、夜半に満天の星空となった。深夜1時に目が覚めて外に出てみると、満天の星空に白馬村の町明かりがくっきりと見え、白馬岳山頂が浮かび上がっていた。まるで絵本を見ているみたいだ。ケーブルレリーズと予備のバッテリーがあったならば、躊躇せずカメラを構えたのだが、残念。まあ、欲張ってはだめということかな。このとき、年配の夫婦連れ(着くなり個室で寝てしまったらしく、レストランの予約時刻に来ないため、係の人が呼びに行っていた)が、もう出発の準備をしている。「こんな時間からどこへ行くのですか。」と聞くと、「もうすぐ4時だからあわてないように支度をしている。」とのこと。まだ1時ですよと言うと、腕時計を見直してびっくりしていた。人の気配のしない個室だとこんなハプニングもあるのか、と妙に感心してこちらも布団に入り直したのだった。 |
第2日(白馬岳頂上宿舎〜鑓ヶ岳〜大出原〜鑓温泉〜猿倉)
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() ※2日目の行程は全身汗まみれになるほど暑くて、心底疲れた。大出原まではなんということもなく、鑓温泉までも岩場はあるもののさほどでもなかった。問題は鑓温泉から小日向のコル(双子岩)間だった。本文にも書いたように、6月の大雨で登山道が荒れ、至る所で登山道の路肩が崩れていた。大きく崩れた所は高巻き道へと迂回したりして、とてもガイドブック通りのタイムで歩けるとは思えなかった。その道を登りに使うグループといくつもすれ違ったが、鑓温泉泊まりだからがんばれるというものだろう。3連休に計画した天狗山荘までというのは、ちょっと無理な話だった。今回、2日目の行程が長い上に、一眼レフと一眼レフ用の三脚も欲張ったものだから荷の重さは大変で、これまでの山行で1、2を争うほどの汗だらけ、疲労困憊の体だった。アルペンロッジ岳都さんへ着いてから、ビール、夕食もそこそこに横になるほどだった。 ※天候は2日間を通して申し分なかった。苦労して一眼レフを持って上がったかいがあったというもの。2日間で400カット程の撮影枚数となった。すべてRaw+Jpegで撮っているため、データ量はかなりのものとなったが、ストレージとして持参したエプソンのP2000が効果を発揮した。その一部は公開したので、おわかりいただけると思う。 ※さて苦労して下った鑓温泉の道だが、南股川を上って鑓温泉を経由して主稜線へ出る道は、江戸時代には既に硫黄を採る道として使われていたらしい。明治9年に竹樋をもって鑓温泉から二股までの10Kmほどを引き湯しようという計画が実行されたが、その年の11月8日新雪雪崩によって小屋の内外にいた53人中23人が死亡するという遭難事故が起き、計画は中止されるに至った。その後、大正のはじめまで細野が持っていた鑓温泉の権利は昭和6年には白馬館が取得、白馬館が計画した現在の登山ルートが開かれた。しかし、昭和10年代まではこれまで通り南股川沿いに下る道が利用されていたという。鑓温泉は雪崩の常襲地であるため、現在でも白馬館により夏場だけ仮設の小屋が設けられている。北ア遭対協の常駐隊によると、鑓温泉〜小日向のコル間が崩れるのは毎年のことだという。 ※本HPのうち、第1日目を書き終えたのが2005年8月10日だった。翌11日7時半頃に白馬大雪渓で土砂崩落事故が発生し、少なくとも2人が死傷したという報に接した。場所は葱平下部ということだったが、今回の登山ルート上での崩落事故は防ぎようがない。もし自分がその時その場にいたら確実に巻き込まれていたと思う。ご冥福をお祈りしたい。 翌12日になって新聞紙上で大雪渓上部から撮影された崩落状況の写真が公開された。新聞やネットに公開された写真から見る限りなので詳しいことはわからないが、写真に写っている植生から崩落箇所を判断して、前回の7月22日に登山した時の画像に書き加えてみた。現地で確認したわけではないので、あくまでも個人的な推定に過ぎない。登山道が再開されるまでには時間がかかるだろうが、本HPの第1日目に記述した通り、この地点が危険な箇所であることは変わりないと思うので、専門家による十分な検討が行われた後の再開を望みたいと思う。なお、千葉大学の苅谷愛彦氏(自然地理学、地形学、第四紀学)によって白馬大雪渓落石事故関係の資料が掲載されている。暫定的ではあるが検討資料も掲載されている(20050813)。 ※白馬村から8月13日に「8月14日6時をもって大雪渓ルート再開」が発表された。白馬村観光局の公式HPには崩落現場付近の航空写真が公開され、今回の土砂流路と既存の登山道、付けなおした登山道が図示されている。これによると、土砂流出の道は2本あったことになる(ただし、航空写真自体は既存のものか?)。前掲の7月22日撮影の画像と今回図示された航空写真を照合して、崩落推定ルート画像を1枚追加した(20050814)。 ※千葉大学苅谷愛彦氏他による、白馬岳・大雪渓葱平落石現地調査速報が公開された。8月23日時点での暫定的なものとのことであるが、現地調査に基づいて詳細な検討が加えられている。大雪渓を通過し、天狗菱を仰ぎ見たことのある者にとっては、実に驚くべきものである。ぜひご覧いただきたい(20050823)。 ![]() ![]() ![]() |