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早朝よりテント泊を中心にして、次々と文三郎尾根を登っていった。こちらは少しでも早く歩き出そうと、朝食は小屋玄関横で湯を沸かして簡単にすませる。昼食のみ弁当を頼んだ。空には薄雲が広がっているが、高い雲で稜線ははっきり見えている。小屋前で給水して、5時27分行者小屋を出発。今回は赤岳をパスするので地蔵尾根を間のぼる。地蔵尾根への樹林帯でサンカヨウを見つけた(写真右)。 |
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樹林帯を抜けて、少しずつ高度を稼ぐ。今年初めての本格的な山行で、ザックの重さが身に応える。写真左はタカネザクラ(ミネザクラ)。樹林帯上部にたくさん咲いていた。写真右はミツバオウレン。コイワカガミと一緒に群落を作っている。地蔵尾根は鎖の他に階段が作られていて、よく整備されている。しかし急登には違いない。写真を撮りながらゆっくりと登る。 |
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樹林帯を過ぎて、岩稜に変わると、ツガザクラが咲いていた(写真左)。花色は白色に見えるが、淡紅色。名の由来は葉がツガに似ることからという。写真右は地蔵の頭近くから臨む八ヶ岳主峰の赤岳(7時5分)。 |
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先に地蔵の頭へ着いたので、ザックを放り出して富士山が見えないかと岩を登ってみたが、今日はだめたった。振り返ると、横岳の岩稜とその向こうに硫黄岳、その向こうには天狗岳とさらには蓼科山が見える(写真左)。同行者も地蔵の頭に到着。地蔵尾根は短時間で主稜線に出ることができるが、それでも急登には違いなく、結構しんどかった。一昨年はもっと簡単に登ったように感じたのだったが、記憶というのはいい加減なものだ。しばらく休憩してから、赤岳に背を向けて横岳を目指す。稜線は花、また花で感嘆の声しか上がらなかった。岩稜のため大きな群落があるわけではないが、花の種類は多い。写真右はイワウメ。写真の右の方にはイワヒゲが見えている。イワウメが上向きに咲いているのに対して、イワヒゲは壺型の花を下に向けてそっと咲いている。いかにも対照的な咲き方だ。 |
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二十三夜峰にさしかかると、ハクサンイチゲに出会った(写真左)。初めて見る花だ。写真右はミヤマキンバイ。 |
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こんな所でゆっくり花を撮っていたのでは先へ進めない、ということはわかってはいるのだけれど・・・。写真左はクモマナズナ。アブラナ科なので、花弁は4枚。二十三夜峰を過ぎて、赤岳(左)と阿弥陀岳(右)を振り返る(7時46分、写真右)。 |
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岩場にはりつくように咲くイワベンケイ(写真左)。チョウノスケソウとオヤマノエンドウの咲く岩稜と赤岳(写真右)。 |
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花真っ盛りのオヤマノエンドウ(写真左)。横岳の主役の花は、葉よりもずっと大きな花を付けている。そして、ついに見つけたツクモグサ(写真右)。本州では白馬岳と横岳でしか見られない花で、絶滅危惧種。1902年に横岳で城数馬氏によって発見されたツクモグサ。命名は数馬氏の祖父九十九への献名によると言われている。オヤマノエンドウとチシマアマナに囲まれて咲いていた。キンポウゲ科オキナグサ属。日本固有種で絶滅危惧TB類(EN)。 |
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それにしても何という群落だろう(写真左)。ツクモグサ、オヤマノエンドウ、チシマアマナ、ミヤマキンバイ、ハクサンイチゲが所狭しと咲き競っているようだ。ツクモグサはもう終わってしまっているかも、という心配は杞憂に過ぎなかった。今年の雪解けが遅く、春の訪れが遅かったからだろうが、幸運に感謝。写真右はツクモグサを接写。 |
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ツクモグサと稜線を分けて咲いていたミヤマシオガマ(写真左)。遅々として進まない足だったが、次から次へと撮影しながら、ようやく到着した大権現(8時38分、写真右)。 |
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大権現から八ヶ岳主稜線を眺める。まだ険しい登山道が続いている(写真左)。写真右はチョウノスケソウ。今が盛りとたくさん咲いていた。名は発見者の須川長之助氏の名からとったもの。チョウノスケソウを一番よい時期に見られて、ただただ感激。 |
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写真左はイワウメ。小さな葉が厳しい冬の環境を物語っている。写真右はツクモグサは、花期を終えようとしている。 |
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写真左はキバナシャクナゲ。横岳から硫黄岳にかけて群落が見られる。9時43分、横岳の最高峰(奥の院)に到着。写真右は奥の院から台座ノ頭、硫黄岳を望む。ここで大休止。 |
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ここから横岳の核心部分、カニの横ばい(写真左)。カメラをぶらさげて歩けるところではないので、早々に片付ける。何人もの人が歩いているのが見える。写真右はカニの横ばい手前で咲いていたツクモグサ。これでツクモグサともお別れである。 |
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ここからの花の主役はウルップソウ。卵形をした葉に紫色の花をつけている。そういえば白馬岳頂上宿舎の弁当はこのウルップソウが模ってあった。群落を作るほどではないが、たくさん咲いていた。ウルップソウ科ウルップソウ属で絶滅危惧U類(VU)。名は千島列島のウルップ島からきている。ウルップ島ではハマレンゲと言われ、高山ではなく浜辺に群生しているという。北海道礼文島の群落は絶滅寸前という。そういえば高山植物らしからぬ大きな葉をつけている。 |
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横岳核心部分を過ぎると、もう危険なところはない。台座ノ頭を過ぎて硫黄岳山荘へ下りていくと、コマクサが姿を現し始めた。まだほとんど花は咲いていなかったが、夏になると見事な花を咲かせることだろう。硫黄山荘到着が10時42分。ここで昼食。かつて石室だった面影は看板を残してほとんどなく、なんとウォッシュレットの水洗トイレまで備わっている。行者小屋のトイレでびっくりしたものだが、硫黄岳山荘のトイレには驚いた。どのような浄化槽設備があるのだろうか、これで100円は安い。山荘前のテーブルで昼食。弁当のにしんがおいしかった。 |
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11時10分山荘を出発。大ダルミをケルンをたどって登る。稜線は広く、ガスが出ると道を見失うことになる。そのためのケルンがきれいに等間隔で作られている(写真左)。硫黄岳への道から歩いてきた横岳を振り返る(写真右)。 |
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硫黄岳の爆裂火口(11時36分、写真左)。のぞき込むと恐ろしいほどだ。写真右は南八ヶ岳案内板。みんなここで記念写真を撮っていた。雲行きがあやしいが、まだ雲は高い。夏のような積乱雲は見られないので、ひょっとしたら天気はもつのかもしれない。 |
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硫黄岳を赤岩の頭へ向かって下りる(写真左)。途中ニホンカモシカに出会いながらもザレた道をダラダラ歩く。12時5分に赤岳鉱泉への分岐に到着。ここから樹林帯の中をジグザグに下山する。眺望のない道だが、危険な所はない。13時13分、赤岳鉱泉に到着。大休止の後、北沢を下山する。赤岳鉱泉を振り返ると、大同心が横岳に向かって手を合わせていた(13時37分、写真右)。 |
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ただただ長い北沢の道を美濃戸へ向かって歩く。写真左はキバナノコマノツメ。写真右はゴゼンタチバナ。 |
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写真左はマイヅルソウ。堰堤広場に到着したのが14時29分。そこから砂防堰堤の作業道をただひたすら歩く。美濃戸近くになってクリンソウもまだ咲いていた(写真右)。 |
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写真左はクルマバツクバネソウ。美濃戸山荘到着は15時09分だった。この2日間登山者は多かったようで、楽しみにしていたトマトも牛乳もすべて売り切れだった。まだここから車まで歩くのかと考えると、ぞっとしたのだった。
※梅雨の晴れ間というよりも、空梅雨だった前半をねらって南八ヶ岳を歩くことができた。本当はもう1週後をねらっていたのだが、どうやら天候が良さそうと急遽この土日に歩くことにした。結果は雨に降られることもなく、念願の花にもたくさん出会うことができ、大満足の山行きだった。冬の厳しかった年は、花をたくさん咲かせるといわれている。種にとってその存続は大変な問題なのだ。今回の行程を振り返ってみて、初心者であっても1日目の行者小屋までは全く問題はなく、2日目も赤岳を登って往路を戻るのであれば十分な山行だと思う。比較的アクセスがよく、北アルプスと比べて規模が小さいとされる八ヶ岳だが、その異なる成因から個性的な山が連なる魅力は大きい。
※今回気になったことがある。主稜線には植生保護のためのグリーンロープが張られているが、これを無視して保護区内に立ち入って写真撮影をしたり、ひどい場合には保護区内で休憩をしたりと、何人かの登山者のマナーは決してよいとはいえなかった。近年数を減らしているというウルップソウなどの減少の理由もここにあると思う。保護区内に立ち入って撮影しようとする人に、携帯カメラの存在がある。光学式ズームレンズを備えていないため立ち入らなければ撮れない、ということなのだろう。見かねて声をかけたが、その人はやめようとしなかった。また横岳は登山道が狭くてゆっくり休む場所がないから、ロープを超えて休んでいただけだ、ということなのかもしれないが、そういったところでは休むべきではない、と思う。手軽に訪れることのできる山という安易な気持ちがそうさせているとしたら、大きな問題である。植物の根は浅い。近くに寄るだけで大きな影響を与えることを肝に銘じたい。
※今回の大失敗。それはデジタル一眼レフを2人とも持参しなかったこと。2人のうちのどちらかのカメラがあれば、との目論見は大はずれで、後悔また後悔だった。雨も降らなかったため衣類を減らせばザックに入ったかと思うだけに残念だった。その分フットワークは多少は軽くなったかと、あきらめるしかないのだった。今回使用のカメラはパナソニックLC1とカシオEZ40。 |