2004年10月6日
長野県白馬村佐野さのさかスキー場より
レリーフの等高線は20m。スケールの単位はm。
冬を目前にした11月6日。長野県白馬村の佐野の城平山を歩こうと計画した。標高1250mほどの尾根の中腹で、山名は勝手につけた名称である。五竜岳からの下山ルートとして用いる遠見尾根の小遠見山(2009m)から南へ派生する尾根を南下すると、天狗岳を経由して長見山(1665.2m)に至る。そこから東に伸びる尾根の中腹にあたる。地名からして城郭遺構の存在が予想される。しかし登山道はないだろうし、白馬へ登山で訪れる人でここを登ろうという人は皆無であることだけは断言できる。はたして無事にたどり着けるのか。アルペンロッジ岳都さんが調べてくださった結果、目的地が白馬村大字神城字城平(じょうだいら)として地積図上に明記された字名であることがわかった。ただし登山道はなく、山の持ち主も含めて城郭の存在は知らないし、ここへ登ったという人も見つけられなかった、という。かなり手強そうだ。岳都さんを出発すると白馬三山と五竜岳が朝日に輝いていた。夏用ゴンドラとリフトの運行は終わっているが、なんだかもったいない気がする。今年の雪の訪れは遅いようで、山々はほんの少し雪化粧しているにすぎなかった(写真左)。さのさかスキー場まで車で入って、鳴沢沿いの林道を探す。林道はあるにはあったが、倒木や下草がびっしり。車をこすりながら、行けるところまで行ってみるが途中に見つけたわずかばかりの路肩に車を駐車し、あとは歩き。途中で林道は二叉に分岐し、地形図を頼りに右へ進む。さすがに空気は冷たく、寒い。 | |
鳴沢を渡って、倒木をまたぎながら林道を歩く(写真左)。長野でも今年はクマの出没が多いらしい。鈴の他に携帯ラジオを鳴らして歩く。樹木は葉を落として、いつ雪がきてもおかしくはない風情。8時56分、ようやく目指す尾根の末端にたどりついた(写真右)。写真で見るとほんの少しの崖に見えるが、実は結構大変。何度も滑り落ちながら、ようやく崖を登る。登った所も急傾斜で、落ちないように樹木にしがみつきながら赤テープをカッターで切って、枝に巻き付ける。地形図、コンパス、赤テープは必携だ。 | |
道などは何もない。人が歩いた形跡もない。もちろん低山によく見られる、赤テープや目印のヒモもない。しかも急なこと。ひたすら木の幹や枝につかまりながら、よじ登っていく。見通しの利かない笹藪でないことだけはありがたいが、枝で体じゅう傷だらけである。9時32分、尾根はようやく少し傾斜がなだらかなになった。地形図と高度計を見比べて、標高1050m地点であることを確かめる(写真右)。 | |
いくぶんなだらかになってからは、ずいぶん歩きやすくなった(写真左)。尾根上ではあるが、ところどころに道状のくぼみが見られる。標高の高い多雪地帯の山岳に見られる地形とは異なるので、人為的な感じがする。しかしその遺存状態からして長期間利用された道というわけではなさそうだ。あるいは獣道かもしれないが。樹幹から白馬村が見下ろせる地点で1枚撮影(9時47分、写真右)。 | |
なだらかな尾根はほんのわずかで、再び傾斜が急な尾根に変わった。枝と枝の間をすり抜けて、両手で枝をつかみながらよじ登っていくと、目の前に突然ニホンカモシカがあらわれた(9時50分、写真左)。というより、登ってくる者を上からじっと見ていたという感じだ。こちらは鈴の音もさせているし、ラジオもつけているのに逃げようという気配はない。ニホンカモシカが好奇心旺盛なことは、これまで度々山で経験している。おもわず、やあやあと声をかけてしまった。しばらくこちらをじっと見ていたが、やがてゆっくりと谷へと下りていった。写真左はカモシカ退散前にあわてて撮った1枚。9時55分、頭の上に削平地らしき遺構が目に入る(写真右)。まぎれもない中世城郭の遺構だ。 | |
写真左は十分に削平された曲輪。写真からも平坦に整地されていることがわかるだろうか。この手前の方に最初の虎口がある。写真右はおそらくは櫓台。狭いが、左右の曲輪から一段と高く設けられている。どの曲輪も十分にフラットに削平されている。 | |
写真左は城郭中心部分へ至る虎口。左右に土塁が張り出している。虎口は食い違い虎口や枡形の形状はとらず、平虎口となっている。写真右は虎口から虎口曲輪へ登り、北側の曲輪を見たところ。土塁が右手に見え、土塁に囲まれた曲輪は、空堀状に掘りくぼめられていることがわかる。 | |
城郭の中心部に設けられた主要な曲輪群は、北と南の2列連なり、その間の谷地形が大手筋となっている。中心の曲輪は北の最高点に作られた長方形の曲輪で、背後に土塁を持つ。土塁と背後の尾根を遮断する堀切は幅5mほどもあり、現状でも土塁の頂部からの実効深度は3mを測る(写真右)。堀切から背後の尾根の急斜面を、時々滑り落ちながらもしがみつきながら登る。写真右は割り切り上部から見た白馬村。。 | |
さらによじ登っていくと、狭い堀切が1条やせ尾根を遮断していた(写真左)。両端は竪堀状となっているが、先ほどの堀切よりは狭い。ここから背後の尾根はより一層急斜面となっている。この上がどうなっているのか気になったが、今日は単独登山なので自重。戻りながら簡単な略図をとった。帰路は赤テープをはずしながら下山。滑り降りたといった方が正しいかもしれない。林道まで下りた時、空はまぶしい青空だった。 | |
写真左はさのかスキー場から見た城平山。写真ほぼ中央の傾斜の変換点の当たる尾根が、遺構の中心。写真右は佐野集落から見上げた城平山。同様に写真のほぼ中央が遺構の存在する地点。 ※ここへ登りたいと思ったのは、急に思い立ったからだ。以前から気にはなっていたが、夏は白馬連山に後立山連峰が呼んでいるし、冬は人を寄せ付けない。念願を果たすことができたのも、ひとえにアルペンロッジ岳都さんのおかげである。事前のいろいろな情報がなければ躊躇しただろう。佐野城平山の遺構については、山に歴史を探るをご覧いただきたい。 |