2004年8月7〜8日
長野県白馬村猿倉より

レリーフの等高線は20m。スケールの単位はm。

第1日(猿倉〜白馬大雪渓〜白馬岳頂上宿舎)

当初計画では、この夏のメインが白馬三山縦走。ところが先々週の後立山連峰岩小屋沢岳〜針ノ木岳縦走があまりにも大変かつ充実していたので、もう夏山が終わってしまったかのような錯覚。いやいやそうではない、と気を取り直しての今回の山行。ところが猛暑に加えて南から次々と湿った空気が流れ込むせいか、午後の落雷が頻発し、どうも天候がよくない。本来は6〜7日に歩く予定を1日繰り下げ、さらに午後の落雷を避けるために栂池から白馬乗鞍岳、小蓮華岳を経由する予定を白馬大雪渓から登山へと変更。しまいこんだアイゼンを再び引っ張り出しての山行である。白馬山荘に宿泊して、2日目に杓子岳、白馬鑓ヶ岳を登ってから、鑓温泉経由で下山という計画。前夜に白馬まで車を走らせ、21時にアルペンロッジ岳都さんへ到着。八方第五駐車場は満車状態で、たくさんの登山者が白馬岳へ登っている様子がうがえた。翌朝、岳都さんの車で猿倉まで送っていただく。6時24分の猿倉荘前はもう登山者であふれかえっていた。あれほど避けたいと思ってきた、蟻の行列。しかも今日は土曜日とくれば、大渋滞は必至か。登山届を出して、6時30分に猿倉荘を出発。登山指導所で「今日は楽ですが、明日は10時間を覚悟しておいてください。」と言われる。今日は楽?・・・・。白馬尻へ林道を歩くと、向こうに夏色の白馬岳が顔を出している(6時39分、写真右)。
6月に来たときには林道横に残っていた雪もすっかり解け、ゴーゴーと音を立てて流れていた長走沢も水量は少なくなっていた。しばらく林道を歩くと、林道は終点。ここから登山道に入る(7時11分、写真左)。写真にはあまり写っていないように見えるが、実は我々の前後は人また人の行列。登山道に入ると追い抜くことも、追い抜かれることも困難。どちらかというと中高年登山者が多く、ツアー登山者も多い。しばらく歩くと、彼方に雪渓がが見えてきた(7時23分、写真右)。
白馬尻には村営の小屋と白馬館経営の小屋の2つの小屋がある。写真左はより奥にある白馬館の白馬尻小屋。冬季は解体される小屋である。テラスから雪渓がよく見える、絶好のロケーションにある(7時45分、写真左)。白馬尻小屋のトイレはミカレット(自己完結型燃焼式トイレ)が設置されていて、村営小屋よりも一歩進んだ感じ。写真右は白馬尻小屋のテラスから遙か彼方の雪渓を見たところ(7時47分)。所々に赤い旗が立てられていて、雪の多い時期はここから大雪渓にとりつくことができる。今年はずいぶん雪解けが進んでいる。
白馬尻からさらに登山道を歩き、8時16分いよいよ大雪渓にとりつく。雪渓を見ると、もう長蛇の列ができている。登山者は皆、簡易アイゼンか軽アイゼン。我々は針ノ木雪渓と同じく12本爪の本格的アイゼン。登山靴につけて、ベンガラの赤線に沿って雪渓を登る(8時31分、写真右)。雪渓の中央付近にまで落石がある。この石の上に腰を下ろして休んでいる人をよく見かけるが、考えてみたら恐ろしいこと。雪渓を転がってくる礫は音がしないだけに怖い。あれだけ晴れていた空も、いつの間にか雲行きがあやしくなってきた。雪渓の上には冷たい霧が吹き降りてきて、カメラのレンズがすぐ曇ってしまうほど。
雪渓の勾配は、初め緩やかだが、次第に傾斜を増す。登ってくる人を見るとみんな下を向いて、一心不乱に登ってくる。雪渓のスプーンカットをうまく利用して登る限り、登りはアイゼンなしでも問題なさそう。しかし2本爪の簡易アイゼンや4本爪の軽アイゼンをつけている安心感からか、またはフラットに着地していないせいか、足が滑っている人をずいぶん見かけた。12本爪アイゼンはちょっと大げさかもしれないが、どこを歩いても万全で、やっぱり安心感が違う。スプーンカットされていない斜面でも、出っ歯だけに蹴り込んで歩くことができる。9時29分、涼しかった雪渓歩きはここまで(写真右)。本来なら、さらに上まで雪渓を歩くはずだが、8月4日から秋道へと変更されている。雪渓にクレバスが入り、赤線部分が崩れてしまったからだ。
写真左は次々と雪渓を登ってくる登山者。いつの間にか霧も晴れた。雪渓を歩き切った所で、大休止。雪渓が短くなった分、葱平までのガラガラの急登を登らねばならない(9時42分、写真右)。岩に付けられたペンキを頼りに、といいたいが、あまりにも人が多いのでその列から逃れることもできず、登っていく。
いったい今日一日で何人が登ってくるのだろう(9時51分、写真左)。登山者の列は終わりそうもない。ところで秋道の場合、雪渓が終わるとすぐに第一の枕木階段が待っている。この階段はありがたいような、ありがたくないような。下降時には普通の階段のように快適に降りられても、登りは二三歩登っては、立ち止まって休み、また登っては休み、の繰り返し。狭い登山道で数珠繋ぎになって登っているわけだから、全く進まない。いや、我々も含めて進みたくとも進めないといった方が正確か。あげくのはてには枕木階段をベンチにして休憩する人もあったり。ともかく恐ろしい急登の連続である。こちらもあえぎあえぎ登るうちに、足がつりそうになるほどのしんどさ。この枕木階段が少なくとも3か所は現れる。植生保護のために張ってあるだけのグリーンロープに両手でしがみついて登っている人などは、見ていて恐ろしいほど。保護ロープの向こうへ平気で入っていくグループにも閉口。登山道を避けて1グループが休む場所を探してというのは分からないでもないが、いかにもマナーが悪い。たまらず入らない方がいい、と声をかける。暑さは先々週以上である。持参した3.5リットルの水はどんどん減っていく。葱平の岩室跡を過ぎる頃には、雲行きが一段とあやしくなってきた。急登はまだまだ続いていて、多数の登山者が休みながら登っている(10時39分、写真右)。このあたりから、遠くのではあるが雷鳴が聞こえ始めた。うそでしょう、まだ11時前だよ。
避難小屋に到着したのが11時48分(写真左)。シャリバテはかなわんので、ここで腹ごしらえ。すると、雷鳴がどんどん近くなってくる。パトロールの人が、歩ける人は早く上へ行くようにと声をかけている。幸いまだ雨は降ってこないようなので、急いで出発することにする。稜線を見上げると、はるかかなたに頂上宿舎が見えているが、ここからがもう一踏ん張りである(11時58分、写真右)。登山道の傾斜は避難小屋までと比べるとやや緩やかになっているが、その代わりに例の枕木階段が現れる。この急登で転ぶ人を3人も見てしまった。下りで石車に乗ったわけではない。みんな登りで転んでいる。足が上がらないのだ。足が上がらずに、つまずいて転んでしまうのだ。そうこうしているうちに、とうとう雨が降り始めた。雷雨である。あわてて合羽を着るが、それほど土砂降りにはならないのが幸い。
12時43分、頂上宿舎直下(写真左)。色とりどりのザックカバーが列を作って登っていく。富山県側から吹き下ろしていた風は、いつの間にか長野県側から吹き上げている。天候が悪くなる兆候だ。12時52分、村営白馬岳頂上宿舎到着(写真右)。宿舎直下の雪渓から流れ出る水をペットボトルに汲んで飲む。冷たくて実にうまい。ビールよりもうまいかもしれないと、この時真剣に思った。天候が悪いため、白馬山荘まで行くのをやめ、頂上宿舎で宿泊することに変更。宿泊手続きをとる。村営頂上宿舎とはいっても、白馬館が経営する白馬山荘の方がより山頂に近い。白馬山荘は来年開設100年を迎えるはず。またいつか泊まることもあるだろう。部屋は「富士」。左右に二段ずつになった部屋は、下段がそれぞれ満員。1つの布団に2人ずつの、左右8人ずつ、計16名で埋まっていた。上段はそれぞれまだ4人だけ。先に到着した人から順に下から詰め込んでいる感じ。このまま人が来なければいいと思っていたが、結局上段の我々は布団1枚に1人ずつ寝られるという幸せな夜となったのだったが、先に到着した人は下段のすし詰め状態のままだった。
宿泊手続きを済ませて、宿舎の外に出てこみる。まだ続々と雪渓を人が登ってきている。意外にも雨はひどくならず、下界が見えていた(13時52分、写真左)。我々が断念した白馬山荘に向かって、次々と登山者が登っていh(13時56分、写真左)。今日の満員具合は頂上宿舎の比ではないだろう。
宿舎横に咲いていたイワギキョウ(写真左)とハクサンフウロ(写真右)。ハクサンフウロは花期を終えようとしていた。
あまりにも時間が早いので、宿泊者用食堂ではなく下のレストランでだらだらの時間。まだすいていて、生ビールを注文する。枝豆付きで850円(写真左)。テーブルは木がふんだんに使われた、ちょっとぜいたくなものだ。ビールを飲んでいい気分になっていると、突然の大雨。外から登山者が一気にレストランへ駆け込んできて、すぐに満員状態になった(14時10分、写真右)。
レストランで注文した鶏肉の竜田揚げ。これで何と税込み300円(写真左)。1人1つずつ注文しようとしたら、店員さんが「こんなに大きいですよ」と紙に大きさを書いてくれたので、2人で1つ。値段からして大げさかと思ったら、とんでもなく大きい竜田揚げだった。下界でもない安さ。1時間近くもレストランでだらだらしてから外へ出てみると、雨も上がって白馬山荘が見えてきた(14時56分、写真右)。頂上宿舎に泊まる人で、今日中に山頂を踏んでおこうと思っている人たちが、軽装で山頂を目指している。こんなことならと少々後悔したが、ビールを飲んでしまったので断念。
頂上宿舎前から見ると、杓子岳(左)と鑓ヶ岳(右)が顔を出していた(14時58分、写真左)。夕食は食堂で、何回かに分けて番号順に呼ばれた。全席入れ替えでないため、意外と早く順番が進んでいる。夕食はお代わり自由のバイキングで、山小屋とは到底思えないごちそうだった(写真右)。これだけの食材をヘリで空輸するわけだ。グループやツアーで来た人たちは、にぎやかな記念撮影を繰り返していた。
夕食後外に出て、宿舎横に咲き始めたトウヤクリンドウを撮影(写真左)。雪渓を隔てて、白馬山荘がはっきりと見えた(18時00分、写真右)。向こうでもたくさんの人が並んでこちらを見ているのがよくわかる。いつの間にか風向きは富山県側からに変わっていて、天候がそれほど悪くならないのではないかと思われたが、明日はどうなのだろうか。
ついでに宿舎周辺の花を撮影。夏の花から初秋の花へ変わりつつあることを、ウメバチソウ(写真左)やトリカブトは教えていた(写真右)。夕方、7時前のNHKラジオで気象情報を聞くと、長野県北部の明日の天気は曇り後か雨か雷雨。降水確率は午前30パーセントで午後は50パーセント。白馬岳の天気は曇りまたは霧で一時雨か雷雨という。ため息しか出ないような予報だ。鑓温泉経由で下山予定だったが、稜線での雷雨は何としても避けたい。残念ながらこのまま往路を戻ることにした。雷の心配のない、秋にリベンジすることを誓った。
※収容人員1000人という村営頂上宿舎であるが、この日の宿泊者はおよそ300名ほどだったと思う。夏の土曜日ということで、もっととんでもない混雑を予想していたが、意外とそうでもなかった。近年、一時に比べて白馬岳へ登る人が減ってきているというが、多分そうなのだろう。百名山ブームが過ぎつつあるということだろうか。もっともこれは頂上宿舎のことであって、より山頂に近い1500人収容の白馬山荘は、はるかに多いことだろう。頂上宿舎からはご来光は見ることはできないが、今日のように登山路で雷雨におそわれた時など、ありがたい存在である。下山後知ったことだが、この日の落雷で栂池ゴンドラが停電し、同時にロープウエイも給電を停止したため、1500名の観光客と登山客が代行バスで下山したという。今日ぐらいの雷雨で済んでよかったというべきだろう。ところで、頂上宿舎の消灯は9時となっていた。山小屋で9時とはどういうことかと疑問に思っていたら、何と24時間発動機は回っていて、部屋の自主消灯時刻が9時ということ。夜のヘッドランプもここでは無用。ここは山小屋であっても、町の一部分みたいなもの。自販機も24時間動き続けていて、ちょっと唖然としてしまった。

第2日(白馬岳頂上宿舎〜丸山〜白馬大雪渓〜猿倉)

3時30分頃に起床して、外へ出てみると、なんと満天の星空。おまけに、白馬の町並みの灯りがきれいに見下ろせる。夕べの気象情報はなんだったのか。いやいや、夏山の朝はこんなものだ、などと思いながら部屋で朝食。食堂の混雑を避けて、朝食用と昼食用の2つを頼んでいたので袋を開けてみる。左がウルップソウ、右が白馬をかたどった弁当で、まずはアルップソウ弁当を朝食として食べる。白馬村内の紫米を使ったとの説明書を読みながら食べたが、これはおいしかった。ペロッと一粒残さず食べてしまった。
ともかくご来光を見ようと、サブザックだけで丸山を目指すことにした。杓子岳と鑓ヶ岳も薄明かりの中で、はっきり見えている(4時54分、写真左)。振り返って見ると、白馬岳と白馬山荘がこれまたはっきり見えた。白馬山荘背後の稜線に、数珠繋ぎになって日の出を待っている登山者が見えた(写真右)。
次第に明るくなる空にせかされるように、丸山に到着。三脚を立てて、東を見る。やがて白馬岳の右に日の出を見ることができた(5時03分、写真左)。丸山でご来光を見た人たちは、今度はみんな周りの山々を思い思いに見ている(写真右)。何人かの登山者を案内してきたらしい人が、「こんなにすばらしいご来光をここで見るのは、私は初めてです。皆さんは幸運です。」と何度も話していた。
朝日を浴びる剣岳(右)と立山(5時07分、写真左)。剣岳はここでは鋭く尖った姿を見せていて、先々週見た姿とはまた違っていた。写真右は鑓ヶ岳とその右に剣岳(5時12分)。
鑓ヶ岳右奧の山々(5時12分、写真左)。手前の山並みの左側が蓮華岳で右側が針ノ木岳。その向こうの山並みは穂高連峰と槍ヶ岳。写真右は丸山から宿舎へ戻る途中で見た杓子岳と鑓ヶ岳(5時23分)。
下山途中に見た丸山はすっかり朝日を浴びていた(5時19分、写真左)。まだ暗闇に沈んでいるテン場とその向こうの、丸山、鑓ヶ岳、杓子岳(右から、5時29分)。
丸山から杓子岳へ続く稜線を見ると、たくさんの登山者が鑓ヶ岳方面へ向かって歩いていた(5時30分、写真左)。宿舎周辺のチングルマは花は既になかった(5時35分、写真右)。宿舎の部屋に戻り、パッキングをしなおしていると突然、「○○さんですよね。」と声をかけられる。びっくりして振り返ると、前の職場の関係の知人だった。天候が心配なので、鑓温泉へは下りずに栂池へ下山するとのこと。それしてもこんな山で知人と出会うとは驚いてしまった。それだけたくさんの人が来る、メジャーな観光地化した山ということだろう。
お礼を言って、宿舎を出発したのが6時13分。写真左は朝日に照らされた宿舎。写真右は、宿舎直下の雪渓の雪解け水。空になったペットボトルにここで水を補充する。昨日の登山時に生気を与えてくれた貴重な水。
下山路から杓子岳、鑓ヶ岳を見る。本当に天候が悪くなるのか、やっぱり信じられない(6時15分、写真右)。登りの時には全く気が付かなかったが、大岩には「ガンバレ」のペンキ文字が。たしかに宿舎が見えだしてからが長かった(6時20分、写真右)。でもみんな足下ばかり見ていて、気づいた人は少なかったと思う。
高度を下げるたびに、杓子岳と鑓ヶ岳の見え方が少しずつ変わっていく(6時23分、写真左)。写真右は登山時の閉口した強烈な枕木階段(6時27分)。昨日は雷雨に追いかけられて写真どころではなかったので、今日改めて見上げて撮影。こうやって、今見返しても強烈な階段だ。
天気は悪化する兆候なし。昨日の分まで、のんびりと写真を撮りながら下山する。のんびり下りていても、登山時よりはるかに早い。写真左はカール地形を背景にして(6時27分)。高度を下げるにつれて、杓子岳が鋭く尖って見え始める。左に伸びるのが、杓子尾根(6時31分、写真右)。
お花畑でタカネナデシコ(写真左)とクルマユリ(写真右)。トリカブトもいっぱい咲いていた。
杓子岳から伸びる杓子尾根(6時53分、写真左)。崩壊しやすく、絶えずガラガラと落石の音が聞こえる。これが時折雪渓まで転落してくるかと思うと、怖ろしい。写真右は避難小屋から見上げたカール地形のお花畑(6時58分)。
6時58分避難小屋到着。なんとあっけなく着いたことか(写真左)。避難小屋を過ぎて、さらに下山した地点から見た杓子岳と杓子尾根(7時04分、写真右)。鋭い岩峰だ。ところでこの当たりで早くも登ってくる登山者とすれ違った。昨晩は白馬尻小屋に泊まって、早朝に出発したという。白馬尻小屋に宿泊すれば、いろいろな登山行程が考えられそうだ。
小雪渓跡から見た大雪渓。よく見ると、行列が進んでくるのがわかる。しかし、昨日ほどの大行列にはならないようだ(7時10分、写真左)。写真右は、雪渓取り付き付近まで下山して登山者を見送った所(7時52分)。続々と登っていくが、聞かれることは「この先はここより急ですか。」。枕木階段が待っていますと伝える。雪渓に取り付く前に、今日初めての大休止。ここまで来れば、雪渓の落石さえ注意すれば危険かつしんどいところはない。しかし日差しは強烈で、猛烈に暑い。
再びアイゼンを付け、大雪渓を下りる。写真左は下山方向を見た所(8時49分)。写真右は登山方向を見送った所(8時50分)。ガスは上ってはいるが、昨日に比べてはるかにいい天気だ。この時に天気予報がはずれたことを確信した。まあ、いいか。おかげでこの光景が撮れたのだから、と納得。
9時06分、雪渓歩きもおしまい(写真右)。涼しかったのもここまで。ここでアイゼンをはずして、のんびりと雪渓を見送る。ところで今日は日曜日のせいか、小さな子どもを連れた家族連れなどが雪渓遊びにここまで来ていた。登山者ばかりでなく、ずいぶんたくさんの人がここまで歩いて来ていたのには少々びっくり。さあ、白馬尻に着いたらビールだと、暑い登山道を歩き始める。登山道には何人かの本格的なカメラマンが撮影に来ていた。写真右は6×7を据えて撮影していた人の横から撮ったもの(9時30分)。なるほど、お花畑を手前にした雪渓の写真はここから撮るのか、と納得。教えてくれたカメラマンに感謝。
9時51分、白馬尻小屋に到着。雪渓展望一等地の白馬館経営の小屋テラスで、大休止。まずはビールでご苦労さん会。お腹が空いたと、もう一つの弁当を広げて昼食。この弁当は本当においしかった。テラスには年配の男性が、グループでカメラを据えていた。時折ガスの合間から見える雪渓を撮影していたが、持っているカメラからして本格的なものだ。やはりここは観光地なのだと実感。白馬尻小屋から川原のような登山道を歩き、ついで林道をダラダラ歩く。鑓温泉からの登山道を下山してきた人達が、林道に出て歓声を上げていた。きっとそんな道なのだろう。11時29分、猿倉に到着(写真右)。
猿倉荘では下山してきた人達が注文する生ビールが飛ぶように売れていた。それからもう一つ飛ぶように売れていたのが、写真左のかき氷。かき氷を食べるといつもは頭が痛くなるのだが、今日は暑すぎたのか、どんどん氷が入る。続いて、コーラで幸せを実感。季節運行される路線バスが到着すると、たくさんの登山者が下り立ち、またたくさんの下山者が乗り込んでいった。バス関係者の話では、今年は登山のピークがないまま今日まで来ているという。お盆を過ぎるとめっきり少なくなるよ、と。迎えに来ていただいたアルペンロッジ岳都さんの車で宿へ戻り、風呂へ入ってからビールで再度乾杯すると、いつの間にかぐっすり眠ってしまった。
※考えてみれば、今回の山行は白馬岳山頂も踏んでいない。また改めて出直すしかない。それにしても、白馬大雪渓から登るルートは、危険箇所こそないものの体力は必要。大雪渓を登る人で、北アルプスはここが初めてという人が多いと聞く。そんな話をなるほどと感じる部分も確かにあったが、そんなに甘くはないと実感した。何せ、大行列に巻き込まれてしまうと、全く自分のペースで登ることができない。早すぎてついていけないのなら先に行ってもらえばいいのだが、立ち止まっては歩き、立ち止まっては歩きで、前に進まないのは、思いの外しんどい。同行者は、多分最初で最後の大雪渓と言っていたが、ここもまたのど元過ぎればなんとやらになるか?

スライドショウ (スライドショウを実行するためには、JAVAが有効となっている必要があります。WindoesXPの場合、ダウンロードが必要となることもあります。)