2004年7月23〜24日
長野県大町市扇沢より

レリーフの等高線は20m。スケールの単位はm。

第1日(扇沢〜種池小屋〜岩小屋沢岳〜新越山荘

東海地方は早々と梅雨明けして、37度、38度という去年の冷夏からは信じられないような猛暑の連続。関東甲信地方も梅雨が明けたというが、後立山方面は不順な天候が続いた。ようやく昨日北陸地方の梅雨明けが発表されたことを受けて、昨日夜長野県大町市扇沢まで車を走らせた。宿泊は扇沢ロッジ。ここを拠点にして、山小屋2泊でぐるっと反時計回りに扇沢一周の縦走を企てた。実は先週の3連休に単独で縦走するはずだったのが、悪天候のため1週間延期。それに伴い、この日に針ノ木雪渓を登って針ノ木岳と蓮華岳登山というだけだった予定を変更し、2名で縦走である。5時04分、扇沢ロッジの部屋の窓から朝日に照らされた主稜線が見える(写真左)。中央少し右が赤沢岳、中央左がスバリ岳であるが、下から見ているとなんとなだらかそうに見えることか。部屋で朝食代わりに笹寿司を食べ、熱いお茶を入れる。いよいよ始まりだ。扇沢ロッジ出発は5時33分。ロッジ前からは豆粒ほどの種池山荘が見える(写真右)。あんな所まで登るのか、と見えることが少し恨めしくなってしまう。最近扇沢無料駐車場で車上荒らしが続発しているとのことなので、ご厚意に甘えて車はロッジ駐車場に置かせていただく。
柏原新道への取り付きまでの自動車道から、スバリ岳を見る。左にマヤクボの雪渓が見えるが、針ノ木雪渓はここからは見えない(5時45分、写真左)。見慣れた柏原新道入口の駐車スペースは、金曜日早朝にもかかわらず20台ほどの車がすでに止まっていた(5時56分、写真右)。どうやら先週の悪天候のため計画を変更した登山者も多いらしい。登山届けを提出して、6時丁度に柏原新道を出発。
本日の行程は新越山荘まで。種池山荘まで登ってしまえば、あとは岩小屋岳を越すだけの楽しい稜線歩きとなるはずだ。早朝に覆っていたガスは次第に晴れてきた。快晴だ。しかも大町方面を見下ろしてもガスはなく、町がよく見える。こういう時は夏特有の長野県側からのガス上昇は少ないはずだ。ラッキー。しかも昨年単独で爺ヶ岳へ登った時や鹿島槍ヶ岳へ登った時に比べて、登山者は格段に少ない。やはり平日だけある。写真左は登山道からスバリ岳と、その左に顔を出した針ノ木岳を見る(6時30分)。去年はほとんど撮らなかった柏原新道の様子(写真右)。よく手入れされていて、何の不安もなく登ることができる。ただそれだけに変化に乏しくて、延々と登りが続くという印象がある。しかし今日は絶好の眺望が待っている。しばらくモミジ坂の急登を登ると、あとはなだらかな登り道だ。
高度を稼ぐに連れて、スバリ岳や針ノ木岳へと標高が近づいていることがわかる。写真左は蓮華岳の向こうに姿を見せた針ノ木岳(6時52分、写真左)。さらに眺望がきくところまで登ると、扇沢駅とスバリ岳・針ノ木岳が全容を現した(6時59分、写真右)。
飽きることなく何枚もシャッターを切る。写真左は見え始めた針ノ木雪渓(7時13分)。例年に比べて、雪渓が小さいという。7時21分、ケルン着。ここで大休止を決め込む(写真右)。板にペンキ書きされただけだった表示板もアクリル板が貼り付けられた新しいものに変わっていた。また道々草花などには荷札で名前も付けられていた。
ケルンを過ぎると、種池山荘を遙か彼方に望むことができる(7時53分、写真左)。いつもならこの辺で上ってくるガスのため見えないことも多いが、今日は全くその心配なし。石畳の道から石ベンチを過ぎてなだらかながらも標高を上げていくと、しばらく隠れていた赤沢岳も主稜線に姿を見せた(9時11分、写真右)。針ノ木雪渓もよく見える。それにしても空は青く澄んでいる。結構しんどい登りのつらさもこの眺望があれば、と思ってみても結構しんどいことに変わりはない。それにしても暑い。稜線歩きで水場がないため、一人3リットル以上背負っているが、もし水が無かったらと思うとぞっとする。
柏原新道越しに蓮華岳、針ノ木岳、スバリ岳を見る(10時12分、写真左)。この尾根を回り込めば、柏原新道で唯一の難所「ガラ場」である。ここは遅くまで雪渓が残るが、今年はもう夏道が出ていた(10時15分、写真右)。落石が心配で静かに通過しなければならないが、雪渓から解け出す水は冷たくておいしかった。
ガラ場を過ぎて尾根を越してつづら折りの登山道を少し登ると、最後の急登が待っている(10時20分、写真左)。種池山荘はもう目と鼻の先だ。ここが一番つらい登りかもしれない。下山者とすれ違うと、必ずと言っていいほど「もうちょっとですよ、がんばって。」と声をかけられる所だ。そんなことは見ればわかる、と自分に腹立たしくなるのだが、足が鉛のようになる所だ。ぶつぶつ言いながらも10時26分種池山荘に着く。写真右は山荘前からスバリ岳と針ノ木岳を見たところ(写真右)。今年はコバイケイソウが例年になくきれいに咲いている。
写真左は山荘前に咲くハクサンフウロ。この時期にいっぱい咲いているはずのチングルマは、どういうわけか少ない。季節が早いのだろうか。山荘で買ったコーラは至福のひとときを与えてくれる。小屋の人によると、今晩は平日にもかかわらず満員だそうだ。新越小屋はどうだろうかと聞くと、それほどでもないだろうが季節が季節だけにという話だった。種池山荘付近からは爺ヶ岳や鹿島槍ヶ岳南峰がよく見えた。昨年は登山者でごった返していた山荘前も、今日は広々している(写真右)。左手奥は今日越さねばならない岩小屋沢岳、その向こうは剣岳が姿を見せている。山荘前でのんびりと腹ごしらえ。
10時54分種池山荘を後にする(写真左)。今回の行程は、初日に新越山荘まで歩いてしまい、2日目に蓮華岳まで足を延ばして、戻って針ノ木小屋に泊まって3日目に針ノ木雪渓を下りようというものだが、この分では針ノ木小屋は怖ろしく混みそうな予感がする。その場合は2日目の蓮華岳をあきらめて、そのまま下山しようという計画ではあるが、2日目の長い行程がはたしてそれを許してくれるかどうか。まずはまだまだ長い新越までの今日の道のりである。小さな種池付近ではあまりきれいでなかったキヌガサソウも、岩小屋沢岳への登山道ではきれいにいっぱい咲いていた(写真右)。
剣岳から立山連峰へと続く山並みを見ながらの楽しい稜線歩き。しかもこちらを歩く登山者は本当に少ない。というより、ほとんどいないのだ。何枚も写真を撮っているうちに、メモリカードがいっぱいになっていることに気づかずあわてて、ストレージへデータを移行。今回はストレージへ電源を供給する外部電源も持参。20GBまでは大丈夫。写真右はいっぱい咲いていたクルマユリ(11時30分)。
登山道を振り返ると、右奧に爺ヶ岳南峰が見える(写真左)。去年2回登った爺ヶ岳だが、あの登りだけでもしんどかった。棒小屋乗越は一面のお花畑で、ミヤマキンポウゲが大きな群落を作っている(写真右)。
写真左は棒小屋乗越の池糖(11時33分)。まだ雪田が残っていた。初めて見るテガタチドリ(写真右)。
次から次へと現れる花のおかげで、ちっとも先へ進まない。まあ今日は新越までたどりつけばいいだけなのだから、と次から次へとシャッターを切る。天候も今日は悪化する気配はなく、雷雨にはなりそうもない。となると、撮るだけである。写真左はモミジカラマツ。右はシナノキンバイの群落。
タカネヤハズハハコ(写真左)やチングルマ(写真右)もいっぱい咲いていた。
稜線を歩くうちに、遠望する山が剣岳から立山へと変わり始めていた(12時17分、写真左)。後立山連峰でも、鹿島槍ヶ岳から見た剣岳・立山連峰とはずいぶん形が違う。写真右はタテヤマリンドウ。
マイヅルソウもたくさん咲いていた(写真左)。岩小屋沢岳への登りから北を振り返る。遠くに種池山荘、冷池山荘と鹿島槍ヶ岳(左)と爺ヶ岳(右)が見える。
岩小屋沢岳山頂に到着したのが13時43分。のんびりと写真を撮っていたおかげで、ずいぶんゆっくりの到着となった。あとは新越までを下るだけである。山頂付近の登山道はハクサンシャクナゲでいっぱいだった(写真右)。
14時16分、登山道から新越山荘が見え始めた。その向こうは鳴沢岳、赤沢岳、そして左にガスに隠れたスバリ岳から針ノ木岳へと続く稜線。明日はあそこを踏破しなければならないのだ。新越へ下る途中にライチョウの親子が遊んでいる所に出会った。子の方はあちこちと動き回った末に隠れてしまったが、親の方は砂浴びを何度も繰り返していた。ライチョウとのご対面は今回で3度めになるが、同行者は初めてで感激のご対面となった。
いよいよ新越も近い。それにしてもその向こうには鳴沢岳、赤沢岳と次々とピークが現れる。明日の大変な行程を予感させるに十分だった。14時47分、新越山荘着(写真右)。新越山荘は収容人員80名の小さな小屋だが、平成9年に全面改築された新しい山荘である。着替えてから食堂で飲むビールは、もうこれ以上何がいるだろうか、と思えるほどのものだった。ところで、昨晩針ノ木小屋に泊まった登山者の話によると布団1枚に2人だったという。木曜日の夜にこの状態ならば、土曜日はいかばかりか。針ノ木小屋を予約した時に、すでに布団1枚3人を覚悟して欲しいということだったので、この分なら横になることも難しそう。ならばと、明日は蓮華岳をパスして、天候さえよければ何が何でも下山することにした。

※この日、新越山荘に泊まったのは計31名だった。そのうち15名は女性を中心とする団体で、針ノ木から来たということだった。はじめはどの部屋にもびっしりと布団が敷かれ、布団2枚に3人という割り当てがされていたが、実際はその3分の1ほとも来なかった。おかげて、定員20名の部屋に数名ずつという広々さだった。もし団体さんがなかったら、個室状態だったろう。それにしても団体さんのにぎやかさには目も当てられなかった。食事前に2階の喫茶室で大宴会、全員が1回ですませた夕食にもその余韻は残っていて、にぎやかなこと、にぎやかなこと。リーダーらしき人が、「もっと静かに。最近は山でこんなことがあったとよく新聞に投稿されるから、静かに。」とは言っていたが、そのリーダーも含めてにぎやかだったことは間違いない。何がそうはしゃがせているのか疑問だったが、翌日それが氷塊することになる。我々と逆コースをたどった人にとってみれば、この山行はほぼ終えたも同然だったのだ!いつの間にか富山県側からガスが上り始めて、剣岳をすっぽりと隠してしまった。もう見えないかと喫茶室の窓辺を見ていると、残照に照らされた剣岳が一瞬現れた。あわててカメラを取りに行った。ところで夕方の気象情報によると、この日の長野市の最高気温は34度、松本市は35度だったらしい。暑かったはずである。

第2日(新越山荘〜鳴沢岳〜赤沢岳〜スバリ岳〜針ノ木岳〜針ノ木雪渓〜扇沢)

朝4時に外に出てみると、一面のガス。ご来光を見に岩小屋沢岳へ登ろうと外に出た登山者も、あきらめて山荘に戻っていった。しかしガスは富山県側から吹き上げていて、長野県側からの吹き上げではない。ということは、ガスが晴れる可能性が高い。今日の天気は晴れで、午後3時頃から雷雨となる可能性があるという。それまでに、主稜線を歩ききって、針ノ木谷を下山するようにしたい。5時からの山荘の朝食の後、合羽を出そうかどうしようかと思っていると、どんどんガスが晴れてきた。5時37分、山荘出発前に鳴沢岳、赤沢岳、スバリ岳、針ノ木岳と続く主稜線を見る(写真左)。延々とどこまでも続くように見える稜線である。果たして歩けるだろうか。バテて針ノ木小屋で停滞を余儀なくされるのだろうか。蓮華岳と針ノ木岳との間の針ノ木峠の向こうには、前穂高岳が頭を出している(写真右)。
5時41分山荘を出発。朝日を受けて、鮮やかだ(写真左)。鳴沢岳はすぐ目の前だが、長野県側が鋭く落ちていて、富山県側を巻いて登山道は進む。稜線を富山県側へ抜けた途端、目の前に剣岳と立山がそびえていた(5時54分、写真右)。あまりの美しさに、何枚もシャッターを切る。
鳴沢岳への岩場を登りながら、北を振り返る。東から朝日を受けて、岩小屋沢岳、鹿島槍ヶ岳、五竜岳、唐松岳、白馬連山が美しいシルエットを見せていた(5時55分、写真左)。6時28分、鳴沢岳山頂に着く(写真右)。誰もいない山頂を独り占め。山頂標識の向こうには、スバリ岳、針ノ木岳、蓮華岳と続く稜線と、その向こうに槍・穂高連峰が見える。
それにしても手前のなだらか(そうに見える)赤沢岳に比べて、スバリ岳は岩峰そのもの。寄る者を拒んでいるように見える(6時28分、写真左)。今日の行程はまだ始まったばかり。今日の4つのピークのうち、1つを踏んだに過ぎないのだ。休憩もそこそこに、出発する。写真右は西へ折れた稜線に沿って山頂から下降した部分から、次のピークである赤沢岳を望む(6時43分)。小ピークがいくつも続いていることがわかる。
鳴沢岳を度々振り返りながら写真を撮ったりして、赤沢岳山頂に到着したのが7時36分(写真左)。ここでは針ノ木小屋を早朝に出発して縦走してきた登山者が数名休憩していた。360度の大展望に加えて、眼下には黒部湖を見下ろすことができる(写真右)。広々とした山頂とともに最高の眺望である。黒部湖はガイドブックで見たとおりの湖の色だった。また先日の豪雨のせいだろうか、多数の流木が流れ着いていた。さてここからが今回の山行の核心部分である。ここで少しばかり腹ごしらえをして、気持ちを引き締める。赤沢岳からスバリ岳までは1時間半とガイドブックにあるが、それでは難しいだろう。
赤沢岳からスバリ岳へ向かう。鞍部へのガレた登山道を下りながら、眼前に立ちはだかるスバリ岳を見る(8時43分、写真左)。岩肌を登山道がついていることがわかる。鞍部近くでタカネバラの群落を見る(写真右)。ここからはあまりのんびりと写真を撮ってはいられないかもしれない。鞍部で針ノ木小屋を早朝に出発したという、14名のパーティとすれ違う。12名の中高年の女性を2人のガイドがサンドイッチして進んでいる。長野県側が崩壊した最鞍部で最後尾のガイドが「おしゃべりをしないで。」と注意していた。白馬村の業者が企画したツアーということだが、今日は新越山荘までと余裕をみた行程のようだ。このルートのツアーはなかなか人が集まらず、これだけの人数は珍しいとのこと。それほど静かな山域である。
ガラガラの岩場を、三点支持を守って、青息吐息でスバリ山頂をめざす。精根尽き果ててスバリ岳山頂に着いたのは10時47分だった(写真左)。針ノ木小屋を早朝出発して、新越方面へ向かう登山者はほとんどここを通過しているので、誰もいない静かな山頂である。富山県側の眼下には黒部湖が見え、時折遊覧船が過ぎていくのがわかる。赤沢岳を振り返ると、長野県側からガスが吹き上げて、通過してきた主稜線で上へ吹き上がっていた(10時51分、写真右)。よくここまで来たものだと感慨と同時に、シャリバテしないように行動食をほおばる。
スバリ岳から針ノ木岳へ向けて、岩場を慎重に下る。岩場にタカネシオガマ(写真右)がたくさん花を付けていた。眼前に針ノ木岳がそびえるが、スバリ岳への上りと比べるとさほどでもなさそうである。ザラザラ滑りやすい登山道を時折休憩しながら登る。鞍部付近の砂礫地にはコマクサの群落が見られたが、すでに盛りは過ぎているように思われた。長野県側から次々とガスが吹き上げて、天候が悪化する前兆が見られるため、花の写真撮影は割愛。先を急ごう。
針ノ木岳直下の登山道を再び青息吐息で登ると、山頂にたくさんの登山者が休んでいるのが見える。息づかい荒く山頂に到着したのが11時21分だった(写真左)。写真には写っていないが、山頂にはたくさんの登山者が昼寝をしたり、眺望を楽しんだりしていた。今朝、針ノ木谷を登ってきた登山者たちだ。聞くと今晩は怖ろしく混むという。やはり下山するといよう。黒部湖を見下ろしたりした後、12時30分、山頂を後にする。針ノ木峠に建つ針ノ木小屋に着いたのが13時15分。ここで予約をキャンセルし、雪渓の雪で冷たく冷やした炭酸飲料を買って、新越山荘で作ってもらった弁当を少しだけ食べる。弁当はおにぎりとチラシ寿司をそれぞれが購入。鹿島槍からの下山途中に食べた冷池山荘でもらったチラシ寿司と同じく、そぼろ味がおいしかった。峠は携帯電話が通じるため、後立山登山の定宿となったアルペンロッジ岳都さんへ今晩の宿泊の予約を入れたりしているうちに、雨が落ち始める。あわてて合羽を着込み、ザックカバーをしたりして、13時45分に小屋を出発。カメラはザックにしまい込んだため、ここからは残念ながら写真なし。また雪渓の下降に備えて、珍しく用意したステッキをザックから取り出す。
●針ノ木峠直下の急傾斜をジグザグに下山するが、次から次へと登山者が登ってくるため、すれ違いが大変。なんとか急傾斜地を下りきると、小雨は大粒の雨に変わり、一部で登山道に土砂が流れ始める。わかりにくい目印を頼りに、さらに下山すると、大きな雷鳴がとどろいた。音からして、どこかに落雷したらしい。このまま続くようなら、まずは動かずに、雷が収まってから針ノ木小屋へ戻ろうかといろいろ考える。幸い、雷鳴はこの一度限りだった。針ノ木雪渓は表面がスプーンカットされていて、アイゼンなしでも歩けそうだった。後から下山してきた男3人連れが、アイゼンなしで滑りながら下りるというので、まねをしてみるが、雪渓表面が荒れていてうまくいかない。そこで持参した12本爪アイゼンを付けて下山。軽アイゼンや簡易アイゼンと違って、威力抜群である。
●雪渓には中央部まで落石があって、白馬大雪渓と違って針ノ木雪渓が急であることを物語っている。ベンガラの赤線も消えかかっているが、なんとかトレースしながら下山すると、突然現れたクレバスで行き止まり。25000分の1地形図によると谷左岸斜面に登山道がついているので、雪渓を引き返して登山道を探す。幸い、峠から下りてきた登山者に取り付きを教えてもらい、アイゼンをしまう。ここから大沢小屋までは、山麓の登山道の登下降を繰り返して、いくつかの谷を渡ってひたすらに歩く。いつの間にか雨も上がった。合羽が暑くてかなわないので、しまい込む。
次第に登山道は樹林帯の道と変わり、見た目にも大沢小屋が近いことがわかる。16時20分、大沢小屋に到着(写真左)。涙が出そうになるほどうれしかった。小屋前にザックを下ろして、冷えたジュースを飲む。ここで今晩泊まるという中高年の登山者一行が、我々が扇沢から新越まで1日で登り、新越から一気に下りてきたというと、驚いていた。昔の20代、30代の登山者は当たり前に歩いた行程だが、今は小屋をつないで歩く大名登山に慣れてしまったと話しておられた。そう聞くと、なんだかうれしくなった。ここまで来れば扇沢までは難しい道はないという。16時40分、大沢小屋を出発。
●扇沢を目指して登山道をひたすら下山。途中でいくつかの谷を渡渉して、時々現れる登り返しに閉口する。いつしか関西電力のトンネルに出て、関西電力管理道をショートカットして下りると、扇沢駅に到着した。まさにヘロヘロ状態だった。針ノ木自然歩道と名付けられた登山道の入口には、百瀬慎太郎氏の名言が掲げられていた(17時52分、写真右)。扇沢ロッジに着くと、丁度2人連れが下山してきた所だった。聞くと我々と反対回りで、今朝針ノ木小屋を出たという。種池山荘が満員なので下りてきたという話だったが、後で写真を見直してみると、赤沢岳山頂ですれ違った登山者だった。汗と雨でずぶ濡れのままシートにバスタオルを敷いて、白馬村まで車を走らせた。アルペンロッジ岳都さんに着いたのは19時を少し回っていた。この日の長野市の最高気温は35度、松本市は36度だったという。暑かったはずである。
※夏山の午後のにわか雨は覚悟していたが、激しい雷鳴には慌てた。後で種池山荘・新越山荘・冷池山荘のHPを見ると、新越山荘のアンテナに落雷したとのことだったので、あの雷鳴がそうだったのだろう。翌日はさらに天候が不安定になった。後立山連峰では不帰ノ嶮でパーティに落雷事故、ほぼ同時刻に爺ヶ岳で落雷事故があり、死傷者が出ている。ヘリコプターで救出中に、赤岩尾根で滑落事故が発生し、ヘリで収容されている。また局地的な集中豪雨によって柏原新道のガレ場が崩落し、山荘では柏原新道を閉鎖し、3つの山荘の登山者の下山ルートは赤岩尾根として登山者を誘導している。山荘によると昭和初期に鹿島槍で落雷事故があったらしいという程度で、非常に希なことではあるらしい。柏原新道は数日後に迂回路をこしらえて復旧している。この日は中央アルプスでも千畳敷ロープウエイが停電のため停止し、すべての登山者が下山したのは翌朝4時だった。このことを思うにつけても、下山してしまって正解だったと思う次第である。
※針ノ木雪渓は例年以上に雪解けが進んでいるとのことで、雪渓から登山道へ移る部分がわかりにくくなっている。往路に針ノ木雪渓を登ってきた登山者には何でもないことであっても、下山路として利用する我々には非常にわかりにくかった。もっとも雪渓の状況によって、登山道への取り付き地点は常に変化する。いくつかの登山道へ取り付くことができるように目印があるそうだが、やはりわかりにくかった。事前の十分な情報の入手が必要であることを改めて知った。
※今回のルートを時計回りで歩くか、反時計回りで歩くかは、難しい所だ。時計回りに歩いた場合は、新越山荘への到着でほぼ核心部分を通過し尽くしたことになり、例の一行の大宴会となるわけである。あとは岩小屋沢岳さえ越せば、のんびりと下山するだけである。しかし1日目の行程がハードであるだけでなく、針ノ木岳やスバリ岳からの下降は非常に滑りやすい道となる。我々のように反時計回りに歩いた場合、2日目に核心部分を通過することになり、1日目が終わっても道半ばどころではない心構えが必要となる。もし次に登るとしたら、さあどうしようか。
※帰宅後国土地理院の数値地図を使って、今回の行程をざっと計算してみた。それによると、行程距離20.713m、累積標高2399mだった。

スライドショウ (スライドショウを実行するためには、JAVAが有効となっている必要があります。WindoesXPの場合、ダウンロードが必要となることもあります。)