2004年7月23〜24日
長野県大町市扇沢より
レリーフの等高線は20m。スケールの単位はm。
第1日(扇沢〜種池小屋〜岩小屋沢岳〜新越山荘
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![]() ※この日、新越山荘に泊まったのは計31名だった。そのうち15名は女性を中心とする団体で、針ノ木から来たということだった。はじめはどの部屋にもびっしりと布団が敷かれ、布団2枚に3人という割り当てがされていたが、実際はその3分の1ほとも来なかった。おかげて、定員20名の部屋に数名ずつという広々さだった。もし団体さんがなかったら、個室状態だったろう。それにしても団体さんのにぎやかさには目も当てられなかった。食事前に2階の喫茶室で大宴会、全員が1回ですませた夕食にもその余韻は残っていて、にぎやかなこと、にぎやかなこと。リーダーらしき人が、「もっと静かに。最近は山でこんなことがあったとよく新聞に投稿されるから、静かに。」とは言っていたが、そのリーダーも含めてにぎやかだったことは間違いない。何がそうはしゃがせているのか疑問だったが、翌日それが氷塊することになる。我々と逆コースをたどった人にとってみれば、この山行はほぼ終えたも同然だったのだ!いつの間にか富山県側からガスが上り始めて、剣岳をすっぽりと隠してしまった。もう見えないかと喫茶室の窓辺を見ていると、残照に照らされた剣岳が一瞬現れた。あわててカメラを取りに行った。ところで夕方の気象情報によると、この日の長野市の最高気温は34度、松本市は35度だったらしい。暑かったはずである。 |
第2日(新越山荘〜鳴沢岳〜赤沢岳〜スバリ岳〜針ノ木岳〜針ノ木雪渓〜扇沢)
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![]() ●針ノ木峠直下の急傾斜をジグザグに下山するが、次から次へと登山者が登ってくるため、すれ違いが大変。なんとか急傾斜地を下りきると、小雨は大粒の雨に変わり、一部で登山道に土砂が流れ始める。わかりにくい目印を頼りに、さらに下山すると、大きな雷鳴がとどろいた。音からして、どこかに落雷したらしい。このまま続くようなら、まずは動かずに、雷が収まってから針ノ木小屋へ戻ろうかといろいろ考える。幸い、雷鳴はこの一度限りだった。針ノ木雪渓は表面がスプーンカットされていて、アイゼンなしでも歩けそうだった。後から下山してきた男3人連れが、アイゼンなしで滑りながら下りるというので、まねをしてみるが、雪渓表面が荒れていてうまくいかない。そこで持参した12本爪アイゼンを付けて下山。軽アイゼンや簡易アイゼンと違って、威力抜群である。 ●雪渓には中央部まで落石があって、白馬大雪渓と違って針ノ木雪渓が急であることを物語っている。ベンガラの赤線も消えかかっているが、なんとかトレースしながら下山すると、突然現れたクレバスで行き止まり。25000分の1地形図によると谷左岸斜面に登山道がついているので、雪渓を引き返して登山道を探す。幸い、峠から下りてきた登山者に取り付きを教えてもらい、アイゼンをしまう。ここから大沢小屋までは、山麓の登山道の登下降を繰り返して、いくつかの谷を渡ってひたすらに歩く。いつの間にか雨も上がった。合羽が暑くてかなわないので、しまい込む。 |
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![]() ●扇沢を目指して登山道をひたすら下山。途中でいくつかの谷を渡渉して、時々現れる登り返しに閉口する。いつしか関西電力のトンネルに出て、関西電力管理道をショートカットして下りると、扇沢駅に到着した。まさにヘロヘロ状態だった。針ノ木自然歩道と名付けられた登山道の入口には、百瀬慎太郎氏の名言が掲げられていた(17時52分、写真右)。扇沢ロッジに着くと、丁度2人連れが下山してきた所だった。聞くと我々と反対回りで、今朝針ノ木小屋を出たという。種池山荘が満員なので下りてきたという話だったが、後で写真を見直してみると、赤沢岳山頂ですれ違った登山者だった。汗と雨でずぶ濡れのままシートにバスタオルを敷いて、白馬村まで車を走らせた。アルペンロッジ岳都さんに着いたのは19時を少し回っていた。この日の長野市の最高気温は35度、松本市は36度だったという。暑かったはずである。 ※夏山の午後のにわか雨は覚悟していたが、激しい雷鳴には慌てた。後で種池山荘・新越山荘・冷池山荘のHPを見ると、新越山荘のアンテナに落雷したとのことだったので、あの雷鳴がそうだったのだろう。翌日はさらに天候が不安定になった。後立山連峰では不帰ノ嶮でパーティに落雷事故、ほぼ同時刻に爺ヶ岳で落雷事故があり、死傷者が出ている。ヘリコプターで救出中に、赤岩尾根で滑落事故が発生し、ヘリで収容されている。また局地的な集中豪雨によって柏原新道のガレ場が崩落し、山荘では柏原新道を閉鎖し、3つの山荘の登山者の下山ルートは赤岩尾根として登山者を誘導している。山荘によると昭和初期に鹿島槍で落雷事故があったらしいという程度で、非常に希なことではあるらしい。柏原新道は数日後に迂回路をこしらえて復旧している。この日は中央アルプスでも千畳敷ロープウエイが停電のため停止し、すべての登山者が下山したのは翌朝4時だった。このことを思うにつけても、下山してしまって正解だったと思う次第である。 ※針ノ木雪渓は例年以上に雪解けが進んでいるとのことで、雪渓から登山道へ移る部分がわかりにくくなっている。往路に針ノ木雪渓を登ってきた登山者には何でもないことであっても、下山路として利用する我々には非常にわかりにくかった。もっとも雪渓の状況によって、登山道への取り付き地点は常に変化する。いくつかの登山道へ取り付くことができるように目印があるそうだが、やはりわかりにくかった。事前の十分な情報の入手が必要であることを改めて知った。 ※今回のルートを時計回りで歩くか、反時計回りで歩くかは、難しい所だ。時計回りに歩いた場合は、新越山荘への到着でほぼ核心部分を通過し尽くしたことになり、例の一行の大宴会となるわけである。あとは岩小屋沢岳さえ越せば、のんびりと下山するだけである。しかし1日目の行程がハードであるだけでなく、針ノ木岳やスバリ岳からの下降は非常に滑りやすい道となる。我々のように反時計回りに歩いた場合、2日目に核心部分を通過することになり、1日目が終わっても道半ばどころではない心構えが必要となる。もし次に登るとしたら、さあどうしようか。 ※帰宅後国土地理院の数値地図を使って、今回の行程をざっと計算してみた。それによると、行程距離20.713m、累積標高2399mだった。 |
(スライドショウを実行するためには、JAVAが有効となっている必要があります。WindoesXPの場合、ダウンロードが必要となることもあります。)