2004年4月17日
滋賀県木之本町古橋己高庵より
レリーフの等高線は20m。スケールの単位はm。 |
春の花を己高山に求めての山歩き。例年己高山を訪れる時期よりもかなり早く、いつもと違った花と出会えることを楽しみに、坂内村から八草トンネルを越えて湖北に入った。己高庵駐車場に車を止めさせていただき、9時07分出発。写真左は己高庵下から右奧の己高山を望む。しばらく林道を歩かねばならないが、林道ではたくさんのイカリソウの花が出迎えてくれた(写真右)。今が盛りのようで、例年の時期には見ることのできなかった花だ。 | |
しばらく林道を歩いて、登山口に着いたのが9時36分(写真左)。林道奧には2台ほど車が止めてあったが、登山者の車は1台だけのようだ。きっと満員と想像していただけに、ちょっと意外である。己高山を訪れる人は、時期的にもう少し後なのかもしれない。登山口で気合いを入れ直して、尾根に沿ってつけられた登山道に入る。登山口には「登山道はこの奧からのほうがラク」と木札がつけられている。また、この先にはハチの巣もあるが、今はまだ大丈夫だろう。尾根上に付けられた急登を歩くと、道の左右にスミレの群落が続く(写真右)。この山系にはたくさんの種類のスミレが見られるが、登山道に入ってからは写真のようなスミレが目立つ。今日は花を見ながらゆっくりと登ることとしよう。 | |
10時33分、六地蔵に着く(写真左)。ここでも今日登山者が来た形跡はなかった。六地蔵は近江最古とされているが、六地蔵付近には土塁が見られ、また土塁間には礎石も散在して、かつて堂宇があったことは確実である。堂宇が廃絶してから、中央に六地蔵が安置されたということだろうか。ここでゆっくりと休憩。 | |
六地蔵を出発してしばらくすると、仏供谷からの登山道と合流する(10時48分、写真左)。今は仏供谷から登ってくる人の方が多いのだろうか。さらに進むと、送電線のために切り払われた所から、己高山山頂を望むことができる(写真右)。中央の山頂から少し左に下りたところが鶏足寺跡である。 | |
仏供谷からの登山道と合流したあたりから、北斜面にイワウチワの群落が目立つようになる(写真左)。すでに盛りは過ぎ始めているが、まだたくさんの花を付けていた。11時07分、「馬止め」に到着(写真右)。 | |
「馬止め」を過ぎるとすぐ「牛止め」に至る。写真左は「牛止め展望台」からの眺望。今日は黄砂がひどいらしく、快晴にもかかわらず視界がきかない。かすんでいるのが山本山。その向こうが琵琶湖。「牛止め」を過ぎたあたりの登山道(写真右)。樹木が芽吹き始めたところで、樹間からの強い日差しが容赦なく降り注ぐ。ここから最後の急登を登ると、鶏足寺跡である。雨降り後には滑りやすい道も、今日は落ち葉を踏みしめて快適な登山道である。 | |
11時39分、鶏足寺跡に到着(写真左)。かつての庭園跡であることがよくわかる。ここから山頂までは少しばかりの急登を登ることになるが、今日もここでおしまい。山頂はあまり眺望もきかないため、最近ここでおしまいということになることの方が多くなった。じめじめしているため、エンレイソウも所々に見られる(写真右)。クリンソウはまだ葉だけが見られた。 | |
鶏足寺の本堂跡で昼食と昼寝を決め込んでいると、何人かの登山者が登ってきた。やはりここで誰とも出会わないということはあえないのだ。しかし、心配した大人数ではなく、いずれも数人の小グループで、静かな山は保たれている。はやりこうでなくっちゃ。写真左は本堂跡。13時ちょうどに鶏足寺跡を出発し、下山する。帰路は仏供谷へのルートを選択すると、イワナシの花が見送ってくれた(写真右)。 | |
往路はおばけのようになったショウジョウバカマも、仏供谷登山道ではまだ花を咲かせていた(写真右)。仏供谷が北斜面に当たるからだろう。13時58分、林道に下山(写真右)。ここからいやという程の林道歩きが待っているので、ここで一休み。 | |
林道にはヒトリシズカが咲いていた(写真左)。己高庵に着いたのが14時47分(写真右)。満員かと思ったが、意外と車は少なかった。こんなことなら入浴できる準備をしてくればよかった、と思いながら、帰路についた。 ※今日は日差しが強烈な1日だったが、空気は乾いていて、意外にさっぱりしていた。鶏足寺跡はこれまでも何度も訪ねて、その広大な遺構に驚嘆している。また、明治に麓へおろされたという鶏足寺の仏像等は己高庵近くの己高閣に保管され、世代閣とともに見学することができる。国指定の重要文化財など、己高山が山岳信仰の中心であったことを今日に伝えてくれる貴重な文化財で、見学する価値は十分にあるといえる。鶏足寺跡はずっと以前から測量用の杭が打たれているため、実測調査が行われていることは間違いないが、勉強不足のため報告書の有無などどれぐらい公表されているか、まだ知らないでいる。なお、20011104にMIHARUの山倶楽部が略測した鶏足寺跡本堂遺構図を掲載した(スケールは省略)。本堂の構造を知ることができる。鶏足寺跡と己高山信仰については別の機会に詳しく触れたい。 |