●一乗谷城の遺構について
この遺構概念図は各資料に現地踏査の所見を加えて、MIHARUの山倶楽部が作成。おおまかな目安を示すにすぎない。
(黄土色が削平地及び曲輪、茶色が土塁や土橋など、黄緑色が堀切・竪堀・畝状竪堀群、黄色は不十分な削平地を意味する。黒の波線は見学路。Tが千畳敷、Uが宿直跡、Vが「一の丸」と称される一の曲輪、Wが主郭に相当する「二の丸」と呼ばれる二の曲輪、Xが「三の丸」と称される三の曲輪、Yが伏兵穴群、Zが安波賀への下山路の不十分な広大な削平地。)
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*中世城郭については全くの門外漢であるが、踏査からいくつかのことに気づく。以下に備忘としてメモを列挙しておきたい。
1、一乗谷城(詰めの城の部分)はV、W、Xの連郭式山城+畝状竪堀群+Tの政庁と居館と推定される部分から成る。
2、信長の越前侵攻に備えた改修は@堀切の実効深度・堀幅の拡大、A新たな曲輪・削平地の増設、B斜面に膨大な畝状竪堀群を配置、C居館と政庁機能の山城への完全移転を念頭に置いたTの拡充、の4点か。
3、改修は不十分。@古い連郭式山城を拡大させるにとどまる、AZの搦手方向の尾根の遮断と虎口の不十分な改修、B全体として虎口にまで改修の手が及んでいないようだ。
4、ひょっとすると本来の連郭式山城の中心部分はVの一の曲輪に始まり、Wの二の曲輪と呼ばれる主郭で終わりか。
5、改修の時期は朝倉氏最末期の元亀元年頃か。