2003年11月1日
岐阜県揖斐郡坂内村川上より

11月に入っての3連休。といってもこの連休はなかなか時間がとれず、おまけに連休最終日は天気が悪い予想。今日も午後から予定があり、どうするかとちょっとばかり考えて、即、夜叉ヶ池に決定。某氏のHPの情報によると先週の土曜日だけで400人の登山者が押し寄せたとあるが、早朝ならば空いているだろう、という目論見である。自宅を6時30分に出発。池ノ又谷の駐車場に着いたのが7時少し過ぎ。さすがにこんな早くにいないだろうという考えは、既に10台近く駐車している車で打ち砕かれた。どうするか。まあ、行くしかあるまいと、身支度の末、7時20分に出発。出発前に行く手を撮影(写真左)。天気予報は晴れだが、あまり雲がとれそうにない。しばらく登山道を歩くと、途中何組かの登山者が休憩しているのを追い越し。見上げると夜叉壁に朝日が差し始めていた(7時43分、写真右)。
夜叉ヶ池登山の休憩ポイントは幽玄の滝である。それを楽しみに歩き、やっと着いたかと思うと、そこは10名ほどの1グループで既に占領されていた。まあ誰しも考えることは同じである。グループの面々と荷物を避けながら滝を渡り、少し登山道を登った所で給水のため立ち休み。まあ、帰りにゆっくりとここで休むこととしよう。8時21分、夜叉壁から流れ落ちる昇竜の滝(写真左)。いつの間にか青空が広がり始め、夜叉壁の上は秋の澄んだ青空に覆われていた(8時30分、写真右)。幽玄の滝で1グループを追い越してからは、静かな山だけが広がっていた。これはひょっとすると、まだ誰も池畔にはいないかも。
8時37分、夜叉ヶ池に到着(写真左)。池畔に人影はなく、静かにさざ波だけが池をゆらしていた。夜叉龍神社に手を合わせる(写真右)。池畔には所々に杭が打ってあり、池への進入禁止を示すロープが張られていた。1日に400人からの登山者では、池の汚染は目に見えている。絶滅危惧種のヤシャゲンゴロウもかつての数分の1にまで減っているという。腰を下ろしてのんびりしていると、先ほど追い越した10名ほどの1グループが到着した。先ほどは気づかなかったが、手にはネギなど食材がいっぱい。ここでバーベキューをしようということだろうか、と見ていると、「池でビールを冷やそう」という声。見かねて地元の者ですがと、声をかけた。ここはヤシャゲンゴロウの保護のため池畔ではキャンプファイヤーなどが禁止されていること。池の水や自然を汚す行為は、油などの廃棄はもちろん、排尿などの行為も集水域では遠慮することをパトロールが呼びかけていることなどを説明。納得していただけ、グループの一行は三周ヶ岳へと出発していった。こうしている間にも、福井県今庄町からの登山者がどんどん登ってくる。坂内村からの登山者も続々と到着し始め、早々に退散することとする。それにしても、季節によっては土日ごとに500人近くが訪れるとなると、ボランティアに頼った自然保護だけでは危ぶまれてしまう。
帰路に夜叉壁を振り返ると、行きとは違って鮮やかなコントラストで一際輝いていた(9時59分、写真左)。紅葉する前に落葉する木が多いのは、この夏の異常気象によるものなのだろうか。紅葉を飛び越えて晩秋を思わせる風景が続くが、気温だけはやけに高くて暑いぐらいである。次々と現れる日に輝く紅葉を撮っていると、登りより時間がかかってしまいそうである。でもやっぱり、見過ごすのは惜しい。撮らなくっちゃ、と右に1枚(10時04分)。それにしても2人連れから数名のグループ、果ては20名以上の団体と、高年層を中心に、若者までどんどん登ってくる。まさかこんなに渋滞するとは思ってもみなかった。早出して正解、である。
もうすぐ幽玄の滝と滝を見下ろすと、先ほどの10名ほどの皆さんがここでバーベキューにとりかかろうとしておられた。三周ヶ岳はあきらめて、のんびりと秋の一日を過ごすとのこと。こちらも行きに撮れなかった幽玄の滝を撮影(10時08分、写真左)。写真右は登山道からの夜叉壁(10時12分)。なんだか晩秋みたいだ。
左は人が切れた所を見計らって撮影した秋の登山道(10時22分)。結構のんびりと下ったおかげで、駐車場に着いたのは10時59分だった。そこには駐車場をはみ出して、大鳥居のはるか下まで林道脇に路上駐車している車、また車の姿だった。いつ頃からこんな風になったのだろう。20年前は道路も整備されていなかったが、こんなではなかった、などと思いながら車を出した。この時間になってもどんどん車は上ってきて、林道のすれ違いが最後まで大変な山行きだった。

※夜叉ヶ池について少し触れておきたい。国土地理院の2万5000分の1地形図では、夜叉ヶ池の南稜に岐阜県と福井県の県境線を引いている。これを誰しも疑わず、夜叉ヶ池は福井県南条郡今庄町に位置するように紹介されている本も多い(例えば、芝村文治「秘境・奥美濃の山旅」ナカニシヤ出版、1972年)。しかし法務局管轄の土地台帳と地積図によると夜叉ヶ池は「坂内村大字池之又九百八十六番地、地目 溜池 五反歩 所有者 官有地」となっていて、坂内村に属する。古くは天保5年の「細見美濃国絵図」でも夜叉ヶ池は美濃の池として描かれている。夜叉ヶ池の成因については梶田澄雄「夜叉ヶ池−その性格と成因−」(岐阜大学教育学部研究報告−自然科学−4−3、1969年)がある。ここで1つ紹介しておきたいのは、かつてこの夜叉ヶ池を潜水して調査しようという試みがなされたことである。それは1976年6月19日のことで、2名が潜水調査、3名がサポートの計5名によるものだった。1名に荷揚げが20キロ平均という大変な苦労の末、ゴムボートをふくらませて湖面調査、さらには潜水調査を行っている。調査の結果、(1)湖水北側の最深部で9.7mを測ること、(2)棲息しているのはイモリ、ゲンゴロウ、カエル、そして無数のプランクトンなどであり、魚の類はいないこと、(3)池底には2〜3mのドロが堆積していること、(4)水温は水面下で17度、水深部で15度であり、俗にいわれているような地下水の湧き水は見られないこと、等を明らかにしている。また雨乞い信仰に関連する腐った桶、陶器に入った紅や白粉、徳利、盃、クシ、香炉に加えて、新しいコンパクトまで採集されていて、夜叉ヶ池の民俗を物語っている。これらの詳細は潜水者でもある吉村朝之氏による「伝説の湖・夜叉ヶ池を潜水探検」(「海の世界」1971年9月号)に報告されているので、参照していただきたい。