2003年8月2日、3日
長野県大町市扇沢より
関東甲信地方の梅雨明けが発表されないまま、8月を迎えた。天候を心配しながらこの日を迎えたが、週間天気予報は悪くない。梅雨明けも今日明日だろうと踏んで、今日は鹿島槍ヶ岳を目指しての登山である。前日の深夜、長野県大町市爺ヶ岳スキー場ゲレンデ前にあるマルハンロッジに到着。この日は5時30分に朝食をお願いし、扇沢の柏原新道登山口まで送っていただく。明け方小雨が降っていたが、今は空は晴れ間が覗いている。宿泊先に登山計画書控えをお渡ししたが、これにどれだけ助けられたか、明日知ることとなるのである。写真左は6時40分の柏原新道登山口。遠くの山稜が美しい。準備運動をすませてから、6時50分に登山を開始する。柏原新道は我々のうち1人が先週登って下見している。歩きやすさとは別に体力を必要とする、あなどれない道であることは十分にわかっていた。今回は初日に爺ヶ岳南峰を踏み、冷池山荘までの行程である。ともかくゆっくり、ゆっくり進むことととよう。登山開始後の小休止の後、7時56分にケルン着(写真右)。あれほど青かった空は、いつの間にかガスに隠れて見えない。本当ならばケルンを過ぎたあたりで種池山荘が稜線に見えるはず。見えるとその遠さに愕然とすることもあるので、見えないことはいいことか。 | |
それにしてもすごい数の登山者である。写真は人が写り込まないように頃合いを見計らっているため、静かな登山道に見えるが、どんどん登っていく。中高年の登山者だけでなく、家族連れや大学のワンゲル部のパーティなど、この夏一番のにぎわいをみせる。海の日の3連休や先週の土日は天候に恵まれず、今日前後に梅雨明けを期待しての登山者である。8時41分、登山道はすっかりガスの中(写真左)。ケルンを過ぎたあたりから登山道は勾配を緩めて、歩きやすくなってくる。9時11分、突然一瞬だけガスが晴れ種池山荘が顔を出す(写真右)。いやいや、まだ遠い。後1時間半ぐらいか。早朝からヘリが次々と荷揚げしている。今晩はどれだけの宿泊者となるのかを考えると、なんだかげっそりしてしまう。これで明朝の天候が悪ければダブルパンチである。 | |
10時06分、種池山荘までの道の中で唯一危険な箇所を通過(写真左)。この後、わずかに残る雪渓を横切り、柏原新道は終わりに近づく。といっても、最後の急登が一番こたえる。今日もたくさんの登山者が山荘を目前にして腰を下ろす姿があった。70リットルクラスのザックにテントを担ぐ若者の一団はもちろん、かなりの軽装の人でもやっぱり山荘前はしんどい。10時39分、山荘着(写真右)。ガスっていて、眺望はほとんどだめ。夏はこの時間になってしまうと、やっぱりガスが上ってくるから致し方ない。それにしても今日は恐ろしく暑い。しっかりと汗をしぼりとられる。 | |
種池小屋で十分休憩をとる。この前来たときは気づかなかったが、ここでは生ビールだけでなくコーラや、何とアイスクリームまで売っている。これは最高の贅沢と、両方ともありがたくいただくこととする。ビールはもちろんお預けである。小屋前は恐ろしいほどの人だかりで、展望のよい所に据えられていたベンチとテーブルは端の方に追いやられていた。11時28分、爺ヶ岳向けて出発(写真左)。先週このあたりはまだ雪が残っていた。爺ヶ岳南峰へはだらだらした登りで、一人で上るとなるといやになってしまいそうな道。この日は柏原新道で抜きつ抜かれつしつつ同じようなペースで上ってきたワンゲルの若者たちと、またまた同じようなペースで登ることとなった。前回あれだけうんざりした登りも、一緒に登る人が多いせいか知らぬ間に頂上に着いてしまった。写真右は12時20分南峰山頂から爺ヶ岳中峰と北峰を見る。 | |
南峰でしばらく休むがガスは相変わらずで、晴れそうもない。こうしている間にも続々と種池山荘から登山者が登ってくるのが見え、早々に退散することとする。峰と峰の鞍部にはコマクサの群落があった(写真左)。砂礫地で他の植物と混生しないコマクサは、実に見事に咲いていた。写真右はミヤマコゴメグサ。種池山荘付近では初夏の高山植物は一段落といった感じだったが、さらに標高を上げたこのあたりでは今が盛りである。 | |
13時54分、爺ヶ岳北峰からザラザラとした滑りやすい登山道を下ると、冷乗越に出た(写真左)。ここから赤岩尾根が分岐している明日はここを下ることとなる。ガスさえなければ、正面に冷池山荘とその向こうに鹿島槍ヶ岳が見えるはずの、絶好のポイント。残念の一言。14時08分冷池山荘に到着(写真右)。休憩時間も含めて、7時間と少々の一日目の行程の終わりである。山荘はすでにたくさんの登山者であふれかえっていた。予約名を伝え、宿泊と食事の手続きを済ませ、ザックを二階にあげる。部屋は6枚の布団で12人が寝る体制。こんなことならシュラフカバーだけ持ってきて、廊下で寝たらよかったと思ったが、遅いよね。 | |
山荘横の展望台に上がると、ほんのわずかに下界が見える(写真左)。目の前が赤岩尾根。赤岩尾根は三大急登の一つに数えられるほどで、大半の登山者は爺ヶ岳経由で種池山荘へ戻り、柏原新道を下る。今回はこの尾根を帰路に使おうという計画である。ガスの合間にのぞく赤岩尾根は、恐ろしいほどの傾斜を見せていた。ところで山荘上の展望台は宴会場と化していた(写真右)。こうしている間にも次から次へと登山者が到着する。今晩は寝られないかもしれない。冷池山荘のトイレ改修工事は既に終わっていて、木の香りがするきれいなトイレと変わっていた。冷池山荘の1963年館は8月25日から解体工事に入り、来年夏には新装オープンする予定。大工さんが2階診療室の造作を遅くまでしておられた。夕食は恐ろしい混雑ぶりだったが、それよりかなわんのは消灯時刻まで甲高い声で笑い、話に夢中になる他部屋のグループ。26人だかのツアーだそうで、まるで慰安旅行。あまりにうるさいのでまだ残る明るさの中、小屋前の広場に出る。ここでも何人かの中高年女性のグループがガスの間の月を見て、明日あの方向から日が出るだろう、などと話している。いやいやそれはないでしょう、だって向こうは立山連峰だから、と東が反対方向であることを教える。地図もコンパスも持たない人が実に多いことに驚く。8時15分の消灯時刻を待たずに電灯を消し、横になる。横にならなきゃ寝られない(!)。 | |
夜半、ガスが晴れた。8月3日4時57分、日の出を見る。日の出を見ようと、展望台には多くの人が待ちかまえたが、かなりの人は朝食をとらずに鹿島槍へ出発している。隣で三脚を構えていた人などは、4時45分からの一番の朝食を頼んだため、朝食をあきらめようかと迷ったあげく、5分で食事をすませて戻って来ていた。実にきれいなご来光だった。今日の朝食は混むため弁当のおにぎりを頼んである。小屋前の空き地で湯を沸かしてお茶を入れ朝食をとる。おにぎりは小梅2つ入りで、とてもおいしかった。5時48分、出発前に展望台に上がり、朝日を受ける鹿島槍を撮影(写真右)。抜けるような青空で、強い北西の風が吹いている。これならば簡単にガスが上がってくる天候にはならないだろう。展望台で鹿島槍を見ていると、中高年のグループの一人から「あの山は何?」という声。同じグループの人から「鹿島槍、昨日登っただろう。」という声。なんだか言葉も出ない。ザックを山荘に置いて、サブザックに水とウインドブレーカー、行動食に地図、コンパスを詰め込んで、5時50分出発。西風が強く、寒い。 | |
6時5分、山荘から鹿島槍への登山道を少し登り、テント場を過ぎたあたりから鹿島槍を見る(写真左)。目指す南峰の前には布引岳(2683m)が立ちはだかる。これが一番しんどいかもしれない。西を見ると、立山連峰がくっきりと見える。連峰右は剣岳(写真右)。実に鮮やかな稜線だ。手前は朝日が稜線に遮られ、まだ暗い。稜線には高山植物がたくさん咲いているが、写真を撮るのは帰路としよう。まずは山頂を目指す。冷池山荘から鹿島槍ヶ岳までの稜線には岩稜帯はなく、土壌が発達している。そのためか高山植物が数多く見られ、保護のため立ち入りを禁止する看板が立つ。しかし中高年の女性を大半とするグループは平気で看板を無視して、写真撮影のため踏みつけながら入り込んでいく。驚いて、入るべきではないと声をかけると、「ここでしか見られないから入って撮らせて」と。ここにしかないから入っちゃいけないんじゃないの。名札を着けた大勢のグループだが、小班に編成されているわけでもなく、みんな銘々勝手に登っているらしい。もちろん注意するリーダーなどどこにもいない。またこのグループの中高年の男性が、この前行った山でキバナシャクナゲをとってきたが根付くだろうか、などと話し合っている。どうしてこんないやなことばかり見るようになったのだろう。 | |
気分をとりなおして、布引岳山頂を目前しにて登山道を振り返る(写真左)。爺ヶ岳の三峰と蓮華岳、その向こうには槍ヶ岳、穂高岳までも顔を出している。6時55分、布引岳山頂に到着(写真右)。ここで少し休みながら鹿島槍南峰を見る。稜線が朝日に照らし出されている。そうこうしているうちに、例の名札をつけた一団が下に迫ってきたので、追い立てられるように山頂を目指すこととする。 | |
7時4分、布引岳直下から鹿島槍南峰を仰ぎ見る(写真左)。ここから登山道は傾斜を増す。相変わらず強い西風で、日が照っていても寒いほどだ。7時43分、鹿島槍南峰に到着。山頂には360度の大パノラマが待っていた。写真右は堂々たる山容の五竜岳と鹿島槍への八峰キレットが浮かび上がる。五竜岳の向こうには白馬岳がくっきりと見える。モノキュラーで見ると、五竜岳山頂にもたくさんの登山者がいることがわかる。向こうからも鹿島槍がくっきりと見えていることだろう。 | |
山頂から立山連峰を見る(写真左)。剣岳と剣沢大雪渓も見える。山頂から登山道を振り返る(写真右)。今通ってきた布引岳、その向こうに冷池山荘、そして爺ヶ岳、種池山荘と、歩いてきた稜線がこれでもかと迫る。よくここまで来たものだ。向こうに蓮華岳、針ノ木岳、そしてかなたに槍ヶ岳、穂高岳も浮かび上がる。ここからはいったいどれぐらいの山が見えるのだろう。 | |
今回の登山は南峰まで。鹿島槍北峰は見るだけとする(写真左)。いつか五竜岳から八峰キレットを通過して来ることがあれば、そのときには北峰を踏んでみたい、と思う。8時10分、360度の大パノラマに後ろ髪を引かれながら、山頂を後にする。下山路から赤岩尾根を見下ろす(写真右)。いつの間にか少しずつガスが上り始めている。高千穂平で傾斜を緩くした後に、一気に下降する急勾配が手に取るようにわかる。今日は標高差1800mを一気に下ることになる。1日に歩く標高差としては、これまで経験した中では最も厳しい行程である。そうこうしているうちに、例の名札のグループに追いついてしまい、後ろからも名札のグループと、サンドイッチされてしまった。悪く言うつもりはないが、どうして大声で、しかも自然や山になんにも関係のない、どうでもいいような世間話を大声でするのだろう。ここでしか感じ取れない空気の肌触りや、自然の音に、どうして耳を傾けようとしないのだろう。山荘の中でもそうだったが、全くの自分たちだけの世界だけしか目に入らないかのようである。おかげで、登ってくる登山者に横にどいて道をあけようとすると、後ろから無理矢理抜かして下りようとする。「登ってこられる人がありますから、どいてくださいよ」と声をかけて、やっと気づく有様。なんだか赤信号みんなで渡れば何とやら、みたいだ。第一、話に夢中になり危ないことこの上ない。26人がどういう態勢で行動する計画なのだろう。リーダーらしき人はずっと先に1人いるだけみたいだ。なんだか、こういうグループが多くなっているように思うのは残念なことだ。 | |
9時45分、山荘着。ここで荷物の整理をして、いよいよ赤岩尾根の下山である。山荘横の展望台から携帯電話でマルハンロッジさんへ連絡する。留守番伝言サービスとなっていたため、登山計画書通り10時15分に下山開始する旨を伝言する。大谷原へ下りたらまた携帯で連絡する、と伝える。山荘スタッフにお礼を言い、定刻に出発。10時32分冷乗越の立派な道標に腰をかけて、本格的下山に備えて登山靴の紐を締め直す。信州側が崩壊する冷乗越の向こうに冷池山荘が見える(写真左)。鹿島槍はガスの中、である。多くの登山者が爺ヶ岳経由で種池山荘方面へと下山していくのを見送る。我々はここから赤岩尾根に分岐するのだ。ハイマツ帯からチャートの露岩帯の斜面をトラバースする。滑落しやすい地点で、緊張しながら慎重に横切る。やせ尾根には鎖や木づくりのハシゴが要所にかかっている。片手で写真をとりながらなんて、とてもできない下山路である。おかげでこの地点の写真は1枚もなし。登山時には45分に5分の休憩ペースを守ったが、この尾根を下山するにあたって緊張を持続させるため30分歩いて5分休憩とペースを変更する。この急登を何人かの登山者が登ってくるのに出会った。どの人もおそろしく息を切らして、汗がしたたり落ちている。だってここを下りる我々ですらびっくりするぐらい汗をかいているのだ。そう話していると、下から背負子にたくさんの荷をかついで、足取りも軽く登ってこられる冷池山荘のご主人、柏原一正さんとすれ違った。「夕べはたくさんの人でご迷惑をおかけしました」という柏原さんに、宿泊者は何人でしたかと聞くと、350人は超えていただろう、というお話。定員が250人というから満員だったわけだ。予約の段階で既に定員を超えていたとのこと。「来年はもっときれいになりますから、また来てください。」との言葉を残して、軽々と急登を登っていく。見るとスニーカーと軽装に驚いてしまった。山荘に荷を運び上げられるのだろが、この分だったらきっと下山する柏原さんに追い抜かれるだろうと話すと、1時過ぎにやがてその通りとなった。我々のペースが遅いわけではない。ご主人が驚異的なのだ。いくら混んでいても山荘で食事と睡眠とトイレ、そして水のお世話になれるだけでありがたいことだ。11時48分、高千穂平に到着(写真右)。ここで30分の大休止とし、山荘でいただいた弁当を食べる。昼食はちらし寿司。酢の香りが香ばしく、実においしくぺろりと食べ尽くした。下山者、登山者がここで腰を下ろして皆休憩する。種池山荘からのコースと違うことは、大勢のツアー登山者がいないことと、実に静かなことだ。ホシガラスの巣があるのだろうか、時々けたたましい鳴き声と、ヒナの鳴く声が聞こえる。じゃまをしてしまったわけだが、まあホシガラスの方も人がここに来ることは織り込み済みなのだろう。12時15分、高千穂平を出発する。 | |
高千穂平から下は恐ろししほどの急勾配。2分ごとに刻む高度計を見ると、10m、15mとぐんぐん高度を下げている。こんな急勾配の登山道だが、要所要所には木のはしごがかけられ、岩場には鎖が張られている。これを維持される苦労にも頭が下がるし、さらにこれをおそらく毎日往復されるのだろうご主人にも頭が下がる。ワンゲルの一行が下りながら、下りたらアイスクリームを食べるか、ビールを飲むかと、話している。誰しも考えることは同じだ。14時5分、西俣出合に下りる。砂防堰堤のトンネルをくぐり抜けて、ベンチで大休止。赤岩尾根を下りきった。三大急登に数えられるだけあり、下山路としても大変な道だった。しかし、ここから1時間の林道歩きが待っている。実はこれが一番いやだったりする。2時15分にとぼとぼと歩き始めると、林道歩きで一緒になった夫婦2人連れとなんやかんやと話しながら、結構歩くことができた。西俣出合から自動車見た終点の鹿島大冷河川公園までの標高差は、何と300mもあるのだ。さて、問題は携帯がつながらないことだ。本当に弱った。大谷原まで出るとつながるかもしれないが、もし通じなければ鹿島集落までさらに1時間は歩かねばならない。3時15分、大谷原に到着し携帯がつながる地点を探していると、マルハンロッジさんからの迎えの車が声をかけてくれた。聞くと、冷池山荘からの伝言ダイヤルを聞いて、登山計画書の下山予定時刻に従って迎えにきていただけたという。言葉にならないほどうれしかった。宿泊後に登山するときは、いつも計画書の控えを宿に渡しておくが、今回ほど渡しておいてよかったと思ったことはなかった。宿についてからは下山しながら考えた通りの、コーラ、シャワー、ビールと夢のフルコースに酔いしれたのだった。 ※5年も前になるだろうか、白馬へスキーに行く際に木崎湖のほとりから鹿島槍の美しい双耳峰を見たのが印象的だった。八方尾根から見た五竜岳の後ろにそびえる鹿島槍は実に見事な山容で、その姿を見るために一昨年、昨年と五竜岳に登った。すると今度は鹿島槍から五竜岳が見たくなるから不思議なものだ。 ※今回鹿島槍を歩いて、いろいろな人と出会い、いろいろ考えてしまった。早朝の冷池山荘前で1人のリーダーの指示で、静かにストレッチをしてから種池山荘方面へ下山していった4人のパーティー。ガイド登山なのだろうか、鹿島槍へ来られたという満足感が顔に現れているようだった。30人近いパーティーは胸に全員が名札を着けてはいたが、それぞれが勝手に種池山荘方面に下山していった。中の一人の言葉は「私は歩くのが遅いから先に行く」と。点呼をとるわけでもなく、小グループに分かれているわけでもなく。こんな危ないことはない、と思う。また左右ともシューズのソールが完全に剥がれてしまった人を2人も見た。山荘から長靴を借りて下山していったが、「少し剥がれかかっていたが、まだ5年しか使っていないから大丈夫と思って、今回の山登りが終わったら買い換えようと思っていた」という話を聞いて、これも唖然としてしまった。自分がどんな山に行くのかを地図で確かめることもなく、ただ連れて行ってもらうという姿。こんな姿を今回たくさん見かけた。山荘に町の便利さを求めて、自分は客なのだという態度をあからさまに見せる登山者がいることにも驚き、不愉快になった。自分が山に何を求めようとしているのか、改めて考えさせられた今回の山行きだった。 ※マルハンロッジさんには大変お世話になった。ロッジはかつてヤマケイJOYに広告が載っていたことで、HPで探して予約した。ロッジはバンド練習できるスタジオをいくつも備えている。愛知県からサッカー少年クラブが観光バスで合宿に来ていたり、我々と入れ替わりに大学生のバンドグループがバスでやつてきたりと、大変なにぎわいだった。何よりありがたかったのは、無料の送迎サービス。深夜の到着にも関わらず、翌朝5時半の朝食を用意していただけたり、扇沢へ送っていただいたり、大谷原へ迎えに来ていただけたりと大助かりだった。「登山者の利用者は少ない」とロッジマネージャーの言葉だったが、絶対ありがたいサービスだと思う。改めて感謝しかない。利用される方はマルハンロッジのHPをたずねてみて欲しい。 |