揖斐谷の夏3 −季節は巡り、星は周る−



 秋の銀河の中にカシオペヤ座、その下にペルセウス座二重星団、右にアンドロメダ銀河が肉眼でも見えた。「すばる(プレアデス星団)」も出現。「すばる」に向かって、おお、すばるだ、と思わず声に出す。気恥ずかしさから周りを見回すが、ただ暗闇が広がるだけだった。東から雲が湧き上がり、残念ながらこれ以降の撮影は断念し終了。

 2017年8月2日01時16分撮影。
 SONY α7RM2 + TOKINA FiRIN 20mm、ISO感度1600、F2.0開放で撮影、赤道儀使用。30秒露光画像8枚をダーク減算の後、加算平均コンポジット処理。



 今は準惑星となった冥王星の和名の命名者として知られる野尻抱影氏。氏は次のように述べている。


 星は夜と共に周り、年と共に周る。恐らく、星に親しんでいる人達ほど季節の推移をはっきりと実感し得る者はあるまい。十月の或る夜、プレヤデス星団が地平の濛気(もうき)に抹(ぼか)されながらペルセウス座のはずれに懸っているのを発見すると、「ああ、もう一年が廻(めぐ)った!」と呟(つぶや)く。但しこの呟きは、年の暮れる、灰色の冬の来る淋しさを想うよりは、やがてオリオンが五月以来の雄麗な姿を現し、シリウスが紅色の光の矢を射る壮観を待つ喜びから漏らされる方が多い(野尻抱影「星は周(めぐ)る」(『新星座巡禮』1957年)


 ペルセウス座を見送り、アンドロメダ銀河を見送り、「すばる(プレアデス星団)」を見送ったのは昨年初冬のことだった。ペルセウス座流星群を撮りながら夜を更かすと、東の空にはアンドロメダ座に続いて「すばる」が顔を見せ、やがて真夏のオリオンが昇り始める。

 真夏のオリオンをいろんなところで見てきた。北アルプスの唐松岳から、燕岳から、白山から、そして揖斐谷から。赤道儀にカメラを預け、薄明前の東の空をじっと見つめてオリオンを待つ。そして真夏のオリオンを見つけては感嘆の声を上げる。毎年変わらない星の周りに心は躍る。この時間を心を寄せて共有できることができたら、それ以上の幸せがあるだろうか、と思う。


 英文学者・天文随筆家の野尻抱影氏(1885〜1977)はオリオン座にとりわけ強い心を寄せていた。
 ポリネシアの住民が死ぬ前に、思い思いの星を指さして、「自分が死んだらあの星に住む」と言って息を引き取る話を引いて、


「そう心から信じられることは死ぬ者にも、その周囲にも幸福に違いない。また科学がどんなに進んでも、これを否定し、霊魂の門を閉めきるほどの断案は永久に下せないはずだ。」と述べる。そして、この随筆の最後は「私が死んだら行く星は、・・・・やはりオリオンときめておこうか?」(野尻抱影「霊魂の門」)と締めくくっている。1945年野尻抱影氏60歳の時だった。

 野尻抱影氏の最後の言葉は「私の死後の連絡先は・・・」であったという(野尻抱影『星は周る』)。松岡正剛氏は『新星座巡礼』所収の「解説」に次のように記している。


「10月30日、野尻さんが亡くなったとき、パリにいた。電話が入った。「ぼくの骨はオリオン座にばらまいてほしいっていう遺言だったそうですよ」と、私のスタッフが消え入るような声で付け加えた。ううっと、きた。」 


 野尻抱影氏は前掲の随筆「星は周る」で次のように書いている。


「シリウスの光などを見つめていると、呼吸がその瞬きに一致しようとしているのを感じる。その他にも三つ星やシリウスに就いての思いでは次々と続く。夜更けの冷たい縁側で氷嚢の氷を割りながら雨戸の隙にきらめく彼等を見て来て、もう助からない愛するものの耳に『空で一ばんきれいな星を覚えているかい?・・・ウン、出ているよ。オリオンも、カペルラも』と言って聞かせたこともあった。その墓の空に大きく懸るオリオンを眺めながら、郊外の家へ帰って行った夜々もあった。」(野尻抱影「星は周(めぐ)る」(『新星座巡禮』1957年)。


 松岡正剛氏は『遊』臨時増刊号(1977年)の「稲垣足穂・野尻抱影追悼号」に掲載した野尻氏ご子息堀内邦彦氏が寄せた文を紹介している。そのタイトルは、


 「お父さん、今夜は旅立ちには絶好の、星のこぼれる夜ですよ」。


 真夏のオリオンを想いながら、僕は青年の心に戻って心を寄せて見た幸せを思う。
 野尻抱影氏が死後の住所にオリオン座を予約した歳を、いつの間にか僕は追い越してしまった。さて、僕はどこへ行こうとするのか。

 今年もまた真夏のオリオンがやってくる。


                                              (20170804記)