揖斐谷の夏4 −夏の大三角−



 8月も夜半過ぎると夏の大三角が天頂から西へと傾く。この夏は梅雨が明けたとされる頃から、ずっと天候が不順だった。この日は月が沈むのを待ち構えて、ようやく撮ることができた。


 2017年8月2日0時33分撮影。
 SONY α7RM2 + TOKINA FiRIN 20mm、ISO感度800、F2.0開放、プロソフトン(A)、赤道儀使用。60秒露光画像4枚をダーク減算の後、加算平均コンポジット処理。



 夏の大三角は小学校4年生の理科で学ぶ、ことになっている。町明かりの中でも、デネブ・ベガ・アルタイルの3つの一等星は見つけることができるのだが、直接この目で見ようとする子は少ない、という。

 ペルセ群撮影会の案内を皆さんに送ったところ、 norika@はっぴーず から返信が来た。そこには「7月7日の七夕に夏の大三角を初めて見た気がするのでよかったです。」とあった。今まで見てこなかったことに驚いたものの、教師を目指すんだったら、まあ、一つ一つ勉強だな、と思ったりしたものの、読み返して7月7日に見たことがなかったということなのだと合点した。確かに7月7日に夏の大三角はなかなかお目にかかれない。

 僕は廃村となり徳山ダムに水没した徳山小学校櫨原分校に勤務していたことがある。1983年度、1984年度のことだった。5年間勤めた塚分校が休校となり、隣の櫨原分校に異動となり、その後門入分校へ異動して、9年間村に暮らして廃村となったのだった。

 櫨原には2年間暮らしたが、その1年目に1・2年生の計5名の複式学級を担任した。もうすぐ夏休みを迎える新暦の7月7日の帰りの会に、七夕の話をしたことがあった。梅雨まっただ中のその日、とても織姫星と彦星は見えそうもなかったけれど、出会えるといいねと話して子どもたちを帰した。夜、外に出て空を見上げたけれど、厚い雲はとれそうもなかった。

 あとになってある1年生の子のお母さんから、今夜は七夕だからきっと織姫星と彦星が見えるといって夜遅くまで寝ようとしなかった、と聞いた。先生が話してくれたから、絶対に見えると言い張って眠い目をこすってくれた子を思うと、胸を打たれた。今、あの子はどうしているのだろうか。ずっと空を見上げて星空を待ったあの夜のことを覚えているだろうか。

 7月7日は新暦の七夕に違いないけれど、本当の七夕は実はまだこれからである。旧暦の7月7日は新暦でいうと、今年の場合はお盆もずっと過ぎた8月28日が本来の七夕になる。また月の朔望を元としている旧暦では、七夕の月は必ず上弦の月または上弦の月の1日前となる。22時前には西へ沈もうとしている上弦一歩手前の月と夏の大三角が相並ぶというのが本来の七夕の夜、ということになる。ちなみに2018年の七夕は8月17日。ペルセ群極大の直後にやってくる。

 旧暦だった頃の七夕は、梅雨のまっただ中の新暦の七夕と違って、もっとずっと晴れて、織姫星と彦星を眺めることができたことだろう。
 公教育の場でも、旧暦の七夕を教えるべきだ、と今は門外漢となった身ながら思う夜だった。

                                                                          (20170807記)