201407 岐阜大学医学部附属病院病棟からの夕景





赤く染まった池田山と養老山の上に三日月が出た。
手術後の安静中の僕には、しばらくは見たくとも見ることの出来なかった景色だった。


ちょうど1年前の夏、最近では滅多に見なくなった夢を見た。
それはベッドに横たわっている重篤な自分の夢だった。

去年の今頃の僕は、ずっと1つのことが気にかかっていた。
夢の中で病床の僕は、そのことに希望の光が見えたことに喜んでいた。
もうこれでいつ死んでもいい、と夢の中の僕は思った。
夢の中の僕は心静かで、自分に満足していた。
今思うとなんとも笑えるような、ばかばかしく、あきれるほど純情で、身勝手で、そんな夢だった。

こんなふうに死を迎えることができれるなら、死とは決して怖いものではないかもしれない。
夢から覚めたあとも僕は、そんなことをぼんやりと考えていた。

それにしても、高校1年生の時に盲腸の手術で入院して以来、病院とは全く無縁の僕が、
病床の夢を見るとは不思議なことだった。
まさか1年後に現実になるとは思ってもみなかった。

病院で安静の日々、僕はいつも自問自答していた。
もし、もう2度とファインダーをのぞくことができなかったとしたら。
もし、もう2度と山を登ることができなくなったとしたら、
僕は、後悔せずに、精一杯の僕を生きたといえるだろうか、と。

ともかくも、再びファインダーをのぞくことができるようになった今、
これまで当たり前の景色が、すべて当たり前でない世界として見えている。

当たり前が、当たり前のことではないということ。
それを撮り続けたいと、今の僕は思っている。