瑞龍寺山(156m)
2006年2月11日
岐阜県岐阜市梅林公園より

レリーフの等高線は20m。スケールの単位はm。

山登りという言葉がいささかはばかられる、岐阜市のスーパー低山「瑞龍寺山」。「水道山」とも、「梅林山」とも、さらに「上加納山」とも呼ばれる低山である。金華山の前に東西に連なる丘陵で、最高点はわずか156m。例年なら梅林公園の梅見客でにぎわう頃だが、今年は寒さのせいか開花が遅れている。殿町のパーキングに車を入れて、デジタル一眼レフをお供にのんびりと一周の散策。写真左は瑞龍寺。廃寺となった厚見寺の塔礎石が参道左に現存している。これを見学して、梅林公園へ。写真右は花期を終えようとしている蝋梅。
もう終わりかけの蝋梅だが、それでもまだ蕾を見つけることもできた(写真左)。ボランティアの皆さんが清掃活動をしておられる中、三脚を構えて撮っていると、向こうに二輪だけ梅が咲いていると教えていただけた。行ってみると、なるほど二輪だけ咲いている。やっと咲き始めたといった所だ。
川口屋梅林ショッピングセンターで食料を仕入れて、のんびりと歩き始める。鉄塔付近が山頂だ。大きなザックこそ背負ってはいないが、足下は登山靴。周りをジョギングシューズで快適に走り去る人たちを見送り、ぼつぼつ歩く。これはちょっとはずかしかったかな。写真右は稜線から眺めた山頂。子ども頃は結構かかったような気がしたが、実にあっけなく稜線に着く。そういえば、ここから歩くのは何十年ぶりだろう。稜線は岩盤が露出していて、昔と変わらなかった。
金華山を仰ぎ見る(写真左)。スーパー低山ならでは。途中から遊歩道を外れて、岩盤の急登をひと登りすると山頂に出た(写真右)。ここが瑞龍寺山の山頂。さて、1966年にここから漢式鏡が採集されている。直径22.1センチで、後漢の「長宜子孫」銘の内行花文鏡である。梅林中学校のテニス部員数人がハイキングに訪れ、ここで昼食をとっている最中に鏡片が足下にあるのを見つけたのがきっかけだった。この時、弥生時代後期の土器も採集されている。このことから山頂祭祀遺跡として報告がなされたが、1977年に岐阜市の依頼を受けた名古屋大学の調査によって、岩盤をくり抜いた2つの長方形の土壙が確認され、弥生時代の墳丘墓であることが明らかとなった。実は写真右からもその一部を伺うことが出来るのだが、ここを訪れる人が注意を向けることは少ないだろう。さて、近年では山頂に続くテラスも含めて前方後方形の墳丘墓と推定する考えもあるが、この一帯に戦国期の稲葉山城(岐阜城)とセットになった瑞龍寺山砦が設けられていたことなどから、後世の改変が著しく、確認調査を行わない限り断定は難しいと思わる。また故小川栄一氏は瑞龍寺山頂からの採集として後漢の五銖銭を残しているという。この墳丘墓の被葬者の性格が、ただならぬものであったことは間違いない。
山頂から展望台へ下り、展望台から山頂を振り返る(写真左)。撮影地点は、かつてのプラネタリウムの跡。そういえば、子どもの頃まで粕森公園からロマンスリフトがここまで通っていた。あれがなくなったのは、いつ頃だったろうか。展望台で昼食をとり、時の鐘へ向かう。ここからは誰とも出会わなかった。
日清戦争後に設けられたという「時の鐘」。現在では全自動で、鐘を突くシステムだ。時の鐘から北を眺めると、長良川越しに右に眉山、左に城ヶ峰、そして鷺山。
「時の鐘」では、リスが出迎えてくれた。人になれていて、カメラを持って近づいても慌てて逃げる様子はない。リス村から逃げ出したのかな。石仏を見ながら、初め常磐町方面へ、途中から井奈波神社への道をとって下山した。
※瑞龍寺山山頂から「長宜子孫」銘内行花文鏡を発見した中学生から、発見の2年後に直接話を聞いたことがある。中学校に入学して間もない頃だったが、どうしても出土の状況が知りたくて訪ねたのだった。梅林公園は篠ヶ谷と呼ばれ、江戸時代に銅鐸が出土している。またここから南の荒田川流域には弥生時代後期を中心とする遺跡群が知られている。これらの集団が、篠ヶ谷に銅鐸を埋納し、それを見下ろす所にある瑞龍寺山山頂に墳丘墓を築くことになった。
 さて、この銅鐸は梅原末治『銅鐸の研究』に上加納出土として写真が掲載されていたが、長年所在が不明となっていた。銅鐸が天理参考館所蔵となっていることが判明したのは、1971年のことだった。扁平鈕式袈裟襷文銅鐸で、発掘の時のものと思われる欠損が著しいものだ。四十年近くも前に考え始めた瑞龍寺山一帯の遺跡群のことだが、いつの日かもう一度勉強し直したいと思っている。
※さて、金華山の南にある瑞龍寺山は、たくさんの道が作られている。どこでも歩けとしまうような低山で、現に梅林公園からの道はショートカットが繰り返されて、どこが本来の遊歩道か分からなくなっている。自分の子どもの頃を考えても、道などおかまいなしに、遮二無二直登したものだが、今となっては反省しきりである。ほんのわずかな行為でも、山は荒れていくのを感じた。これからの季節、梅見がてら、是非ともオススメしたい散策の道である。