栄螺ヶ岳(685.5m)〜西方ヶ岳(764.1m)縦走
2005年11月23日
福井県敦賀市浦底より


レリーフの等高線は20m。スケールの単位はm。

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揖斐谷ではこの所、冬間近を思わせる時雨が続いていた。日本海側の山へ行くことができる日も限られてくると思っていたら、どうやら23日は天候が良さそうなので、敦賀の西方ヶ岳を歩くことにした。ただ西方ヶ岳だけではつまらない。どうせなら、栄螺ヶ岳もセットで歩きたい。問題は、登山口と下山口が8キロほども離れていることだ。しかもこの間は1日3本しかバスの便がない。方法としては、(1)西方ヶ岳へ登って、そこから栄螺ヶ岳をピストンして往路を下る(またはこの逆)、(2)西方ヶ岳登山口から登り、栄螺ヶ岳下山口へ下りて8キロを歩く(またはこの逆)、(3)一か八かでヒッチハイクする、(4)折りたたみ式自転車を積んで予め下山口に置いておく、(5)1日3本しかないバスを帰路に利用するために、ひたすら急ぐ、(6)西方ヶ岳登山口に車を止めて、近くの常宮から朝一番のバスで浦底まで行き登山、バスの時刻を気にすることなくのんびりと縦走して西方ヶ岳登山口へ下山、という6つの方法を思いついた。このうち、今回は(6)の方法で縦走することにした。西方ヶ岳登山口近くの常宮発の下り便は、7時22分発となっている。これを逃すと、次は13時12分。これでは絶望的。意を決して、始発に間に合うべく早朝自宅を出発した。万が一バスに乗り遅れた場合は(4)の方法をとることとして、自転車も積み込んだ。4時40分自宅を出発。八草トンネルを抜けて木之本から高速に入り敦賀で下りた。常宮へは6時少し過ぎた頃に着いた。朝近くまで雨が降り続いていたので少し心配したが、明け方の空は少しずつ青空が広がってきた。写真左は常宮バス停近くから西方ヶ岳方面を見る(7時02分)。西方ヶ岳は写真の尾根の向こう。写真右は敦賀湾の日の出。
明るくなった常宮バス停(写真左)。海水浴シーズンでもないから、車など通らないだろうと思ったら、ひっきりなしに作業車やチャーターのバスが半島先に向かって列をなしていった。付近の人に聞くと、敦賀原発関係の作業車両ということだった。バス停で待っていると、路線バスがこちらに気がつかずに通り過ぎていこうとしたため、あわてて手を振って行き過ぎたバスをとめる。こんなところから乗る人なんて、滅多にいないらしい。入りくねった海岸線に沿って、時には峠を越しながらバスは走り、浦底のバス停に到着。料金は380円だった。つい今まで雨が降っていたかのように、道路が濡れている(7時35分、写真右)。
浦底バス停から400mほど先まで道路を歩く。右手には明神崎が見えてきた(写真右)。この左奥には敦賀原発がある。左手を見上げると、栄螺ヶ岳へ連なる尾根が見える。本来の山道はこの主稜線につけられていたのだが、恐らくは原発関連の土取りと造成のため途中からしか通行できない(写真右)。
日本原電明神寮へと道をとると、やがて「関係者以外立ち入り禁止」の看板の横に栄螺ヶ岳への案内板がある(7時41分、写真左)。これに従って、左に進む。道路は濡れているが、山並みは青空に輝いている(写真右)。早朝の寒さのためウインドブレーカーを着込んでいたが、ここでザックを下ろして余分な者を脱いで、身支度を調える。誰もいないので、クマとの遭遇を警戒して、鈴と共に胸ポケットにラジオを入れる。7時50分、出発。
林道を歩き始めて、左を見上げると、主稜線が見えた。標高は低いものの、ほとんど海抜0メートルから登ることになるので、アップダウンの多さと合わせて、累積標高はかなりになるはずだ。7時53分、林道から分かれて登山道を示す指導標が目に入った(写真右)。ここから、いよいよ登山道。のけからつるつる、べたべたの山道。雨降り後だけに、結構滑る。
やがて小さな谷を渡る(8時03分、写真左)。谷は小さいものの、水流の勢いはよい。しばらく、花崗岩のゴロゴロ道を歩くことになるが、やがて中央が雨のため浸食された道へと変わる(8時07分、写真右)。ロープが下がっているが、この状態ではこの道を下る時には、ローブが役に立つだろう、と思いながら登り始める。ところが滑ること、滑ること。何のことはない、しっかりとロープを利用させていただいた。
ロープを頼みにしての急登がいくつも続き、腕の高度計を見ては棒グラフが次々と高くなるのに納得。息も絶え絶えに登ると、ようやく尾根上の緩斜面に着いた。ザックを放り出して、大休止(8時18分、写真左)。朝が早かっただけに、やたら腹が減る。シャリバテにならないように、いろいろとほおばる。元気を取り戻して、再び急登を進むと、視界が開けて眼下に敦賀湾に浮かぶ水島が見えてきた(8時26分、写真右)。そこには「水島展望台」と表示されていた。息をのむほど美しかった。
やがて主稜線へ登山道がたどり着いた(8時33分、写真左)。本来の登山道は主稜線であったはずで、現に国土地理院の地形図では本来の登山道が未だに表示されている。しかし今日では途中からしか利用することはできない。帰路に見違わないよう、指導標が設けられていた。ここからはうって変わって、歩きやすい本来の道を快適に歩く。途中で炭焼き窯の跡もあり、この本来の山道が登山道ではなく、山仕事の道であったことを知った(9時07分、写真右)。
登山道は樹林帯の間を、主稜線に沿うようになだらかに登っていく(8時57分、写真左)。実に気持ちがいい道だ。ついつい鼻歌の一つも出ようというもの。やがて主稜線の鞍部に出ると、長命水へ案内する標識があった(9時07分、写真右)。長命水への寄り道は割愛して、主稜線を栄螺ヶ岳へと向かう。
主稜線は気持ちの良い樹林帯(写真左)。主稜線の樹林帯から左下を見下ろすと、敦賀原発が姿を現している。不釣り合いなこと甚だしいだけでなく、不気味だ(写真右)。
稜線をふさぐ大岩(9時30分、写真左)。一枚岩と名付けられているだけあって、確かに大きい。大岩の向こう側へ出ると、岩の上へ登れるらしい。大岩展望台である(写真右)。
ザックを下ろして大岩へ登ってみる。そこには大展望が開けていた。写真左は浦底方面を見た所。明神崎と水島が見える。写真右は水島を望遠で見下ろす。まるで別世界のように美しい。
一枚岩から歩いてきた主稜線を振り返る(写真左)。朝の寒さが嘘のように、暑いぐらいの日になった。一枚岩で小休止後に栄螺ヶ岳へと向かう。10時02分、花崗岩の岩の向こうにいきなり山頂の標識が現れた(写真右)。
山頂には三等三角点が埋設されていた(写真左)。国土地理院の「点の記」によると、所在地は福井県敦賀市大字色ヶ瀬螺ヶ岳第58号1となっている。栄螺ヶ岳山頂はまさに絶景の地。眼下には水島が美しい(写真右)。絶景に大満足しつつ、気がつくと腹が減って仕方がない。よく考えたら、あまりにも家を出たのが早かった。持参したパンを食べて、ようやく人心地がついた。
栄螺ヶ岳山頂からの素晴らしい展望に大満足で、もうこれで一瞬もう下山してもいいような気にもなるが、交通手段がないので、往路を戻るわけにはいかない。それに、あのツルツルの登山道を下ることを考えるとぞっとする。気を取り直して、西方ヶ岳へ向かうことにする。10時20分、栄螺ヶ岳を出発。写真左は栄螺ヶ岳山頂の見納め。アップダウンを繰り返しながら樹林帯の中を歩く。人の気配すらしない、静かな山道だ。急坂を下ると、「かもしか台」と「尼ヶ池」の分岐に着いた(10時51分、写真右)。
見上げると、あれが「かもしか台」であることが一目瞭然。きっと眺望も素晴らしいことだろう。さて、まずは尼ヶ池へと下る。尼ヶ池というわりには小さな池糖といった感じだが、渇水期の今でも水がかれることはなかった(11時02分、写真右)。
よく見ると、ミズバショウの冬芽が出ていることに大変驚いた。まさかこんな所でミズバショウを見ることができるとは。このまま雪に覆われて、来春再び姿を見せるのだろう。ところで尼ヶ池のミズバショウだが、隔離分布していることは明らかだ。しかもそれほど個体数が多いとも思えない。最終氷期であるヴュルム氷期が去って、やがてやってきた縄文海進の時期をここで生き延びてきた貴重な資料だと思う。ミズバショウは長く蛭ヶ野高原が南端と考えられてきて、北緯36度以北の湿地に分布すると考えられてきた。1975年になって、兵庫県加保坂のミズバショウが確認されて、ここが南西端であることが今日では定説となっている。問題は、尼ヶ池のミズバショウだが、国土地理院の地形図で調べてみると、加保坂が北緯35度21分、尼ヶ池が北緯35度43分で、やはり加保坂が南西端であることは揺るがないようだ。植物については門外漢ではあるが、尼ヶ池のミズバショウが貴重であることには変わりないと思う。整備に名を借りた開発によって、脅かされることがないように関心を持っていきたいと思う。
先ほどの分岐までとって返して、写真右がかもしか台。そういえば、何となくニホンカモシカのように見えなくもない。
かもしか台から見下ろすと、突然原発が目に入った。地形も敦賀原発とは違うようだ。目の錯覚に驚き、コンパスと地形図で確認すると、半島西の美浜原発だった。再び大休止の後に、分岐まで戻り、用心のためコンパスと地形図で西方ヶ岳の方向を確認して進む。やがて西方ヶ岳が見えてきた(11時24分、写真右)。
一度鞍部に下り、再び登りに転じると、山頂付近の大岩の上に人影が見られた(11時34分、写真左)。今日山に入って初めて目にする、文字通りの人影だ。11時44分、山頂到着。写真右は山頂の避難小屋。
ザックを下ろして、先ほど見上げた山頂西にある大岩に登ると、そこは再び大展望だった。雲が多くなってきたことが残念だったが、大展望には変わりない。写真左は栄螺ヶ岳方面、写真右は手方面。
山頂は広々していて、常宮から登ってきた登山者たちがくつろいでいた。常宮からの登山道は道こそ長いがなだらかで、登りやすく、こちらから登る人の方が多いという。西方ヶ岳ピストンの人がほとんどで、何人かの人たちがどうやって常宮まで戻るかを話題にしながら、栄螺ヶ岳へと歩いていった。栄螺ヶ岳ピストンという人も多いらしい。登山者といった格好の人は少なく、どう見てもハイキングか散歩といった風情の人もいた。身近な山なのだろう。山頂でコーヒーを沸かし、しっかりとくつろいでから12時40分に山頂を出発した。下山路は海に向かって一直線に下りるような感じだ(写真右)。
常宮への道は、中央が水で浸食された急坂と、なだらかな小径が交互に現れる道だ。若狭国体の時に整備された道と聞くが、すでに荒れている部分もあるが、全体的にはのんびりと歩くことのできる道だ(写真左)。写真右はオウム岩。敦賀市教育委員会によって、1959年に名勝に指定されている。宝暦年間に発見されたという。
ぐんぐん高度を下げると、現れたのは銀命水(13時22分、写真左)。花崗岩の岩の間を清水がわき出ている。飲むことができるようにコップが木の枝に提げられていた。おいしい水だ。紅葉の名残を楽しみながら、のんびりと下山を続ける。
写真左は奥の院(14時03分)。西方ヶ岳の宗教史については何も調べてはないが、文字通り西方を望む山として、山岳信仰の舞台となったのかもしれない。奥の院は、常宮神社の奥の院ということなのだろうか。写真右は奥の院の巨岩の上からの風景。
14時16分、常宮に下山。結構暑かった。2リットルの水を用意したが、0.5リットルを残すだけだった。車まで戻って、常宮神社を見学して帰路についた。写真右は帰路に見た西方ヶ岳
※前日に思い立って向かった栄螺ヶ岳と西方ヶ岳だったが、標高の割に結構大変だった。もっとも海抜0メートルから登ることになるので比高差は随分あるはずだ。しかし標高に似合わず変化に富んだ、楽しい山歩きだった。ここを車1台で歩く場合、今回のような方法がベストだと思う。登山口と下山口を逆にすることも考えられないわけではないが、車の置き場所は今回の方が便利だ。冬を前にして、最後の長い山歩きとなることだろう。
※西方ヶ岳の名の由来として、日本山岳会編『新日本山岳誌』(2005年)は「朝鮮半島からの渡来人の望郷の念がこの山を「西望岳」と呼んでいて、これが西方ヶ岳になったという」としている。この当否について判断する材料を、今は持っていない。
※写真右は常宮神社拝殿からの風景。唖然とした。これではまるで敦賀火力発電所展望台ではないか。