後立山連峰唐松岳(2695.8m)
2005年11月4日
長野県小谷村湯峠より


レリーフの等高線は20m。スケールの単位はm。

(画像のうちいくつかはクリックすると拡大画像を表示します。戻るときはブラウザの「戻る」から。)

11月に入って、白馬山麓はようやくストーブが欠かせない朝を迎えた。この朝、5m先も見えない一面の霧が漂っていたが、早朝嶺方スキー場上まで林道を車を走らせた。上るにつれて、霧は晴れ始め、やがて雲海の上に出た。寒さに耐えながら、日の出を待った。しらみ始めた空に後立山連峰の山並みが姿を現し、やがて朝日に赤く焼けた。6時14分、写真左は白馬三山。右は五竜岳。画像では確認しずらいが、五竜山荘の赤い屋根が光って見える。手前の遠見尾根の屋根はテレキャビンのアルプス平駅。昨日で栂池、八方尾根ともにリフト・ゴンドラ・ロープウエイのグリーンシーズンの営業を終了している。
写真左は鹿島槍ヶ岳。ここから見える鹿島槍は北峰のみ。双耳峰の片一方の南峰は北峰に隠れる。写真右は八方尾根と唐松岳。昨年11月半ばに来たときよりも、雪が下の方まで覆っているように感じる。
雨飾山への道を右に見送り、先日歩いた鎌池への分岐を過ぎて、湯峠へと林道を車を走らせる。湯峠の道は、1995年の小谷村水害の時に崩壊し、その後2001年になって復旧・開通した道である。湯峠の駐車スペースに車をとめ、ここから大渚山への登山道を登る。9時43分出発。
稜線に出ると、紅葉を過ぎて落葉した広葉樹の樹間に日が差している。朝の寒さはどこへやら。暑いぐらいだ。登山道はしぱらくアップダウンを繰り返しながらも、ゆるやかに登っている。写真右は登山道から見た雨飾山。
樹間から大渚山山頂を見上げる(9時44分、写真左)。昨日の雨のせいか、登山道はぬかるんでいて、長靴のほうがいいぐらいだ。気がつくと横に石仏が安置してあった(写真右)。
大渚山の岩峰(写真左)を間近に見る頃、登山道は急登また急登の連続。滑りやすくて、下山時は注意が必要だ。振り返ると雨飾山(写真右)。
さらに標高を上げると、雨飾山の右に焼山。火山活動のため、現在は入山禁止となっている。ひとしきり急登をしいられた後、テラスに設けられたベンチで一休みする(10時44分、写真右)。日本海側から雨飾山にガスが吹き上げ始めた。天候が悪くなる兆候ではないが、この時間では眺望は期待できないかもしれない。
最後の急登を過ぎると、等高線がゆるみ始め、チシマザサの間を気持ちのよい稜線漫歩となる(10時47分、写真左)。もう一息登り切ると、そこが北のピークだった(10時54分、写真右)。国土地理院の地形図によると、三角点は南のピークに設けられているはずだが、どういうわけか北ピークに埋設されていた。設置し直したのかもしれない。国土地理院の「点の記」によると、点名は「赤倉」となっている。所在地は長野県北安曇郡小谷村とだけある。
写真左は高原状の山頂一帯。目を南に向け、後立山連峰を望む(写真右)。押し寄せる雲の上に、鹿島槍ヶ岳の双耳峰を見ることができる。
登山道と湯峠を見下ろす(写真左)。小休止後、展望台が設置されている南ピークへ向かった。どろどろの道を歩いて、たどりついた展望台(写真右)。二階に上がることができるので、二階でザックをおろしてくつろぐ。なお、展望台一帯はかつてベンチなどが据えられて整備されたようだが、今は荒れている。
後立山連峰はすでに雲の中。わずかに雪倉岳が頭をのぞかせていた(写真左)。北ピークを見ると、後発の登山者たちが登ってきていた(写真右)。
のこぎりのような乙妻山と高妻山(写真左)。西岳一帯の山塊(写真右)。
帰路にもう一度北ピークに登り返すと、登山者たちでごった返していた。いろいろ山の話を聞いて、下山。滑りやすい急坂を、木の幹、笹などつかまることができるものはすべて利用して慎重に下る。ロープなどは一切かけられていないが、ロープを頼りすぎるとかえって危険。これでいいのかもしれない。なだらかな稜線歩きでは冬前の山を楽しみ、気になる所を観察しては野帳に書き込んだりと結構忙しかった。13時21分、湯峠へ下山した。
※前回の鎌池の時に登る予定だったのが、雨のため断念して、今回はそのリベンジとなった。もっと天候がよかったならば、360度の大展望が約束されていたかと思うと、少し残念だったが、贅沢をいえば罰が当たるというもの。雪の降る前に訪れることができたことに感謝したい。大渚山はバックカントリースキーの絶好の舞台としても知られているが、私ではとても立ち入ることのできない世界だ。湯峠は糸魚川から小谷温泉へと、湯治客が訪れる時に通った峠と言われているが、もっと知られざる歴史があるように思えた。いつか機会があれば、湯峠の歴史を尋ねてみたいと思う山歩きだった。