後立山連峰唐松岳(2695.8m)
2005年10月9日
長野県白馬村八方尾根より


レリーフの等高線は20m。スケールの単位はm。

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10月の三連休は秋晴れ、そう決めて南八ヶ岳を歩く計画を立てていたが、どうも天候があやしい。前日に天気図とにらみ合わせて、北ほど天候は良さそうとの予想を立てて急遽白馬村へ。8日にアルペンロッジ岳都さんに宿泊し、9日に唐松岳を日帰りピストンすることにした。唐松岳は初めて、というか久しぶりのアルプスとなる1人、3年前の頂上山荘で撤退のリベンジを期す1人、4回目の1人、それに今回が9回目となる管理人の計4名。予想よりも天候が悪く、小雨と濃霧の黒菱林道を車で上がる。黒菱第3リフトは明日が今期の営業最終日とのこと。車は数台だろうとたかをくくっていると、30台近くもの車であふれていた。昨日上へ登った人たちの車だろう。黒菱第3リフトとグラートクワッドを利用して、八方池山荘まで小雨の中じっとがまんしてリフトに乗る。八方池山荘を出発したのが8時09分(写真左)。木道を避けて尾根ルートを歩く。天候さえよければ、右に白馬三山、左に鹿島槍ヶ岳と五竜岳という絶好のロケーション。今日は何も見えない(写真右)。
途中のトイレで小休止した後に、八方池へ。尾根からは八方池すら見えない、最悪の濃霧の地蔵尊が立つ(9時11分、写真左)。地蔵尊には「慶応三年三月吉日 長谷院」とある。地蔵尊は右手に錫杖、左手に摩尼宝珠を持ち、長谷院(現在の長谷寺)の逸乗大和尚が飯森村17名の同行登山をもって祀った風切地蔵であると伝えられている。ここで遊歩道と別れて登山道へ。しばらく歩くと、紅葉の下ノ樺へ(9時31分、写真右)。すばらしい紅葉だが、こんな天候ではなんとも。ところで、気にとめる人も少ないだろうが、ここに牛小屋の跡が残っている。八方尾根にリフトが仮設されたのは1958年12月のことで、黒菱林道が造られたのが1971年のことである。八方尾根自然研究路として整備されていて、現在たくさんの観光客が訪れる道の一部は、実は1917年に大黒鉱山の物資輸送のために開かれた牛道だった。幅員2メートルのこの道も、翌年には大黒鉱山が閉山となって、長く利用されないままとなっていたのだった。
下ノ樺の紅葉の画像を2枚。本当ならば、紅葉の樹間から白馬三山を望むこともできる。しかし、ガスの中に浮かび上がった木々の彩りも何となく風情があっていい、と納得する他はなかった。
上ノ樺にかけての紅葉(9時54分、写真左)。ガスが薄くなってきたせいか、彩りも増してきたように感じられる。10時22分、扇雪渓に到着(写真右)。普通ならばもう溶けてなくなってしまう雪渓も、今年はまだ残っていた。ここで大休止。
扇雪渓からつづれ織りの急登を登って丸山を目指す。同行者は2回続けて同じ枝に頭を打っていたが、今回は切り取られていたとみえて無事通過。急坂を登り切ると、空が開けてくる。丸山への道は、初夏には雪渓が残る道でもある。
同行者グループには先に行ってもらい、丸山で合流することにして、チングルマの紅葉を撮影。日が差してきたため、彩りが鮮やかだ(写真左)。少し時間を費やしたので、丸山へ急ぐことにする(10時51分、写真右)。
丸山ケルン周辺では、たくさんの人が休んでいた(10時56分、写真左)。ガスが晴れることを期待して、三脚を構えている人もいた。丸山ケルンを過ぎると、尾根を巻くように登山道はつけられている(写真右)。巻き道が通れない時は痩せた尾根を登らざるを得ないこともあるが、今年はよく道が整備されていて、危険はない。
鎖場を過ぎて、登山道を振り返る(11時50分、写真左)。ここまで来て、どうやら湧き上がるガスの上に出たらしい。強い日差しが照りつけるようになった。唐松岳頂上山荘も見えてきた(11時52分、写真右)。
頂上山荘に着くと、雲海に剣岳が浮かんでいた。どこまでも透き通った青空と合わせて、思わず息をのむ程の美しさだった(11時54分、写真左)。牛首の險越しに五竜岳も頭を見せていた(写真右)。往路の天候とあまりにも違っていて、我が目を疑った。
唐松岳頂上山荘前のベンチで休みながら、唐松岳を見る(写真左)。剣岳もあいかわらず雲海に浮かんでいる(写真右)。時折、左に立山が見え隠れする。
どうせガスの中だったら、山頂へ行っても仕方がないかなと思っていたが、こんな天気なら行かない手はない。唐松岳と剣岳を合わせて1枚(写真右)。
唐松岳山頂への道から頂上宿舎と牛首の險を見下ろす。列をなして五竜岳へ向かうグループも見えた。写真右は山頂から眺めた白馬鑓ヶ岳。右にうっすらと小蓮華山が見える。時折その間に白馬岳も頭を覗かせていた。雲海に虹が浮かんで、幻想的だ。
振り返ると五竜岳に雲が沸き立っていた(写真左)。いつまでも見飽きることがなく、時間を過ごした。名残惜しく山頂を後にしたのが13時だった。頂上宿舎まで戻って、腹ごしらえ。13時45分、下山。下山路は再びガスの中(写真右)。
しばらくして、ライチョウ4羽を見かけた。冬色になりかかっていて、岩の上で不思議そうにこちらを見ていたが、他の登山者が写真を撮ろうと近寄ったため、草むらに隠れてしまった。追い回そうするわけではないが、感心しない。登山道以外へ人間が立ち入ろうとするべきではないと思う。16時13分、八方池山荘到着。この時期、盛夏の頃と違って最終リフトは16時30分なので、八方池からは少し急いだ下山となった。
※行き先を変更して大正解だった。それにしてもこれほどの天候の違いがあるとは、誰も思わなかった。登山中に前夜唐松岳頂上山荘に泊まって下山する人が、山頂は晴れていたというのを聞いて、朝のうちは晴れていたんだと少し残念がったが、この日1日ずっと晴れていたということらしい。下山する時に、うつむいて黙々と登ってくる登山者に、もうすぐ雲海の上に出ますよ、上は快晴ですよ、と声をかけると、誰もが途端に表情を明るくした。全くの幸運だったとしかいいようがない。
※ところで、秋山ももう終わろうとしているこの時期に、思いの外大勢の登山者が訪れていることに驚いた。ひょっとしたら、海の日よりも多いのではないかとさえ思うほどだった。今年の白馬村全体の入り込み客の減少は、愛知万博のせいだと個人的には思っているが、それも終わって、ようやく山へと人が戻ってきたということだろうか。今年初めての、そして今年最後の唐松岳はいつ雪が降ってもおかしくない様相だったが、予想以上の満足感があった。残念だったのは、下山後ただちに帰路についたこと。もしこの日も宿泊することができたら、ビールがどんなにかうまかったことか。

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