白馬連峰 風吹大池(1778m)
2005年9月24日
長野県小谷村北野より


レリーフの等高線は20m。スケールの単位はm。

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三連休の初日が仕事のため、仕事が終わってから白馬村まで車を走らせた。夜中にアルペンロッジ岳都さんに到着し、翌朝5時半に朝食をとって出発。白馬連峰の中でも訪れる人が少ない静かな山歩きが期待できる風吹大池(かざふきおおいけ)が目的地である。最初は栂池からゴンドラとロープウエイを利用、一旦天狗原へ登ってから向かうつもりだったが、そうすると歩きだけで行きに3時間から3時間半、帰りが3時間半から4時間となり、日帰りではロープウエイの運行時間に間に合わないおそれがある。そのため、今回は北小谷の北野から林道へ入って北野登山口から一気に直登することにした。岳都さんが事前に確認していただいた所によると、林道は通行に支障がないとのこと。小谷村を北に向かって国道を走り、右に小谷温泉、つまり雨飾山方面への分岐を見送って左折し旧道へ入る。姫川第三ダム横のトンネルを過ぎて姫川橋を渡って姫川を越し、工場への道のような所を過ぎると、山へ登っていく。北小谷からの道と合流してからなおも狭い山道を登ると、風吹大池登山口の案内板を見つける。ここから車1台やっとの大岩林道をひたすら登り、舗装が切れた所に駐車スペースに着く。林道は未舗装ながらなおも続いているが普通の乗用車の場合はここから歩いた方が無難だ。今回はさらに登って、林道終点の20台は止められそうな広い駐車スペースまで入った。車は1台もなし(写真左)。林道を上り始める頃から小雨。視界も悪い。合羽を着込んで、登山道を探すが見つからず。まてよと、駐車スペース下に4台程車が止めてあった所まで下りると、はたしてそこから登山道が付けられていた(写真右)。どうやら昨日入山したグループの車のようだ。
道などあるのかと心配したが、草に覆われてはいるが意外としっかりした道が付けられていた(写真左)。7時20分、出発。しばらく緩やかな平坦地のピークに沿って歩く。池糖が点在するため、所々木道が敷かれているが、雨のためよく滑る(写真右)。緩やかな平坦地と表現したが、おそらくは白馬大池(しろうまおおいけ)火山による溶岩台地である。多孔質安山岩の礫がゴロゴロしている。
しばらく緩やかなアップダウンを繰り返した後に、登山道は急登となる(8時03分、写真左)。延々と斜面を登っていくが、その急なこと。樹木に巻き付いたツタは紅葉し始めていて、晴れていれば楽しい道なのだろうが、この天候ではもくもくと登るしかない。おまけに道は滑りやすいときている(8時11分、写真右)。
写真左は下部のダケカンバ。10月の初めならば紅葉がきれいなことだろう。登山道の急坂をあえぎながら登ると、かわいいハシゴがつけられていた(8時14分、写真右)。誰かのHPで体重制限ありと書かれていたが、そんな感じだ。
急登をただひたすら登る。晴れていればきれいだろうなぁとため息ばかり(写真左)。やがて急登が終わって登山道が尾根道へ変わる頃、消えかけた「風吹大池」のプレートがあった(8時26分、写真右)。このプレートが最初で最後の指導標だった。見落とすと不安になる。尾根へ上がった時、右側から温泉のような臭いがした。25000分の1地形図を見ると、土沢(つんざわ)からの登山道付近に温泉マークが記されている。このせいだろう。
尾根上は池糖が点在し、ミズバショウが見られた。そのため木道が渡されていたが、雪解け頃に比べると湿地は少なかった(8時29分、写真左)。ここまでガスに覆われると、かえって幻想的でさえある(写真右)。道はしっかりしていて見失う心配はなさそうだ。
緩やかな尾根歩きはやがて終わりを迎え、再び急登へ(8時34分、写真左)。本格的なハシゴロープが登場する(写真左)。溶岩をハシゴで越す(9時10分、写真右)。それにしても急登だ。眺望も何もなく、小雨が降るだけとあっては、笑うしかない道だ。
やがて最後の急登を登り切ると、尾根道へと変わる(9時22分、写真左)。尾根上の大岩を巻いて歩く(9時24分、写真右)。
一面のガスの中を、尾根に沿って歩く(写真左)。やがて無線塔が目に入り、風吹山荘が近いことを告げてくれる(9時27分、写真右)。
ここからはきれいに付けられた木道を風吹大池に向かって下る(9時28分、写真左)。下りきった所に、土沢(つんざわ)登山道と道を合わせて進む(9時31分、写真右)。
9時32分、ガスの向こうに突然、風吹山荘が現れた(9時32分、写真左)。登山口から2時間10分の行程だった。山荘の昨晩の宿泊者は20名程と多かったそうだが、みんな大池の散策に出かけている、と山荘のスタッフが教えてくれた。ここに来て今日初めて人と出会った。ガスは晴れないが、雨だけはやんでいた。山荘の屋根には新しいソーラパネルが付けられていた。ランプの小屋ということだったが、電気掃除機の音もする。
小休止の後に大池へ出かける。大池への道は木道が付けられていて、草黄葉がきれいだ(9時42分、写真左)。これで晴れてさえいてくれれば、と恨み言も言いたくなるというもの。写真右は木道横の鐘。ならしてみたが、誰もいない静かな草原に鐘が鳴り響いた。しばらく行くと、ガイド登山の7〜8名のグループとすれ違った。昨晩山荘に泊まり、朝7時半から池を一周してきた、という。ガイドの若者は長靴だった。それが正解かもしれない。
池畔から見た風吹大池。黄葉とコントラストがきれいだが、あいにくと池はガスの中。ここから時計回りに天狗原や蓮華温泉からの登山道に沿って尾根を登る。尾根上にも木道が付けられていて、今まさに黄葉しようとしていた(写真右)。
黄葉に混じって紅葉も少しだけあったりして、きれいだった(写真左)。草紅葉の向こうにシラビソの林が見え始めた(写真右)。風が出てきて、ガスを吹き上げているようだ。ガスが晴れそうな予感がして、あわてて池畔へ戻ることにした。こちらから池を回ると、太陽が出た時に逆光になるおそれがあるからだ。
池畔へ下り立つ前に、樹林の間から風吹大池が姿を現した(写真左)。いつまた隠れるかと思うと、撮影も必死だったが、天候はどんどん好転していった。写真右は風吹大池と横前倉岳。
池へ下りた途端にガスに覆われるのではないかと心配し、下るのもままならずシャッターを押す。写真左・右共に風吹大池と横前倉岳(左)と風吹岳(右)。
風吹大池畔に下り立った時、湖面は静かで、空には青空が広がってた。ところで、風吹大池だが、北アルプスで最大の火山湖で、水面の標高は1778m、周囲は1300m、水深5.5mとされている。ちなみに第2の規模は白馬大池となる。風吹大池は白馬大池火山の一部で、馬蹄形崩壊地形とが風吹岳などの溶岩ドームで遮られて水がたまったものと考えられている。一番上に掲げた地形積層図からも北東の土沢方面が崩壊した馬蹄形崩壊地形と溶岩ドームがよく読み取れると思う。北野からの登山道は馬蹄形の縁辺に取り付く道ということになる。
山荘近くの木道まで戻ると、日が当たった草紅葉は見事だった。
1周1時間半が標準というが、天気予報によると今日は昼前から雨。時間が許す限り、反時計方向に池畔を歩くことにする。写真左は風吹大池の中の大岩。樹林帯の中から大池を望む(写真右)。
人がいないせいだろうか、樹林の中から見る風吹大池は物音一つせず、神秘的だ。
雪解けの増水期には水が押し寄せる池畔は一面の紅葉だった(写真左)。草紅葉を手前に大池を見る(写真右)。
一瞬、ほんの一瞬だったが、遠くのガスが切れて白馬乗鞍岳と小蓮華岳が頭を覗かせた(写真左)。これっきり2度と顔を出さなかった。写真右は樹木の紅葉。
大池の水は澄んで、透き通っていた。たしか山荘の水源は大池からポンプアップしているはずだ。風吹岳への登山道を見送って、衛星池である小敷池へ下りた(写真右)。風吹大池とは対照的に黄緑色に濁っている。小敷池は他の衛星池と共に白馬大池火山の爆裂火口である。池の向こうは横前倉岳。溶岩ドームだ。ここで合羽を脱いで、少しばかり乾かす。脱いでみると、合羽の表面よりも中の方がびっしょり濡れいてた。台風が接近しているとのことで、蒸し暑かったが、合羽を見て納得。データをストレージに移行してから山荘まで引き返すことにした。
池畔にたくさん見られたシラタマノキの真っ白な果実(写真左)と、ゴゼンタチバナの果実(写真右)。
山荘に戻る頃には再びガス。もう2度と晴れることはなかった。山荘前のテン場では、先ほどとは違う10名程の中高年のグループが大声で談笑中だった。先ほどのグループの後を追うように池を回ってきたのだろう。この2グループで約20名だ。猥雑な会話に閉口しながら腹ごしらえ。どうもうまくない。今日1日の中で最悪の時間だった。11時10分に山荘を出発。
帰路は往路以上の一面のガス。5メートル先も見えないほどだった。最初の急登(帰路でいうと最後の急下降)の手前の尾根で7〜8人の小グループが休憩していた。大池ですれ違った人たちだ。車はこのグループの人たちのもののようだった。朝7時20分に登り始めたと話をしていたら驚いていた。12時32分、駐車場に到着(写真左)。朝に比べて1台増えていたので、誰か登ってきたのだろう。こちらが止めた駐車スペースは広い中でただ1台きりだった。この日は林道を下りきったあたりで雨は一旦やんだが、15時過ぎ頃から本降りとなった。早めの下山が正解だったと感じると共に、束の間の晴れ間に感謝した。
北野登山口はあまり一般的でないためわかりにくい。林道の利用はあくまでも自分の判断でということでもあるが、駐車スペースは広くて、舗装林道の終点を利用するのであれば普通車でも十分だ。山荘で宿泊するのであれば栂池から登り、一泊してピストン、又は車の心配がないのならば蓮華温泉へ下るコースがよいだろう。日帰りならば、強行軍を覚悟で栂池から歩く以外は、土沢登山道か北野登山道を登るしかない。帰路撮影した2枚を最後に紹介する。写真左は北野集落から大岩林道入り口に唯一表示されている案内板。写真右は国道から旧道に入り、トンネルを抜けて大糸線の踏切を渡ったところの姫川橋。この橋を渡って、川向こうの道を工場に入るように右へ進む。
※土沢からの登山道は古くからの道で、大正の頃には北小谷村の青年会が道刈りもしていたという。その後荒廃した登山道は昭和30年代になって林道が開かれて人工造林が進んで、再び風吹大池への道として利用されるようになったが、平成7年の集中豪雨により損壊。その後登山道は復旧され今日に至っている。北野登山道は土沢登山道損壊時に新道としてルートが選定され、新たに付けられた登山道である。最短で登るルートとしては土沢登山道に分があるという。いずれにせよ、登山者は少ない山域で、一般向けではないかもしれないが、もう一度登りたいと思える山だった。
※さて風吹大池には八方池や白馬大池などで見られた地蔵尊などの信仰にまつわる石仏等が見あたらなかった。ここでは雨乞いは行われなかったのだろうか。高冷地で冷涼な北小谷では、日照りの年でないと米はとれないと言われるほどであったという。そうだとすると、日照り時の雨乞いとは無縁ということになる。帰岐後調べてみると、昭和5年発行の『北安曇郡郷土誌稿』第1輯に風吹大池の雨乞いが紹介されていることを知った。それによると雨乞いは「来馬村が姫川の犀ヶ淵の雨乞いに効果が現れなかったことから、当時誰も登らなかった風吹岳の大池へ登って雨乞いをすることにした。依頼された山田大隅という祝様を先頭に村中総出で登山した。この年は池の水が少なく、池の中の大岩まで祝様は足をぬらすことなく行ってそこで祝詞を上げ始めた所、にわかに増水して岩は水中に没し、大蛇が現れて岩を巻き始めた。大蛇は祝詞を池の中に投げ入れると、姿を消した」という(長沢武『北アルプス白馬連峰−その歴史と民俗−』1986年より孫引き、要約)。北小谷の村人と風吹大池との関わりをかいま見ることのできる興味深い言い伝えである。