石津御岳(629m)・多度山(403m)
2005年2月26日
岐阜県岐阜市上城田寺より

レリーフの等高線は20m。スケールの単位はm。

今日は愛車のリコールと12か月点検のため昼に岐阜へ。作業完了は夕方とのことで代車を借りて、こんなこともあろうかと持参した25000図とコンパスをザックに詰めて、城田寺から城ヶ峰を歩くことにした。常磐トンネル手前の小さな城田寺公園に車を止める(12時50分、写真左)。少し歩くと常国寺(12時52分、写真右)。参道を歩き、寺裏の墓場まで進む。風は冷たいものの、空は抜けるように青い。
墓場横の階段を登る。鉄塔巡視道の表示があり、この巡視道を利用して登ることになる(12時53分、写真左)。階段をすぎるとややわかりにくい道となるが、踏み跡を丁寧に拾って歩く(12時56分、写真右)。
はじめなだらかな巡視道も、やがて岩盤の露出した急勾配となる(13時01分、写真左)。岩盤はもろく、ざらざらした滑りやすい道にかわったあたりで、おなじみの「プラスチィック階段」が現れる(13時04分、写真右)。
高度を稼ぐにつれ、眺望が得られて気持ちがいい。城ヶ峰から三角点の点名「石谷」へ続く山並みが作り出す裾野がよく見える。その向こうには御望山が顔を出している(13時04分、写真左)。送電線を間に、上城田寺の集落が見下ろせる(13時10分、写真右)。今は山麓を走る自動車道があるが、昔はなかった。古墳群の分布調査に山麓の藪を歩き回った中1の頃を思い出して、ちょっとなつかしかった。中央の低丘陵に横穴式石室を内部主体に持つ、円墳があった。初めて見た巨石墳に目を丸くしたものだった。
急登をあえぎながら登り詰めると尾根にたどり着く(13時15分、写真左)。岩盤が露出して崩壊が進む南斜面からは想像ができないほど、稜線は広い。そして土壌も発達している。所々岩稜が露出した尾根を西へ進むと、送電鉄塔が見え始める。稜線上は道もはっきりしていて、歩きやすい(13時19分、写真右)。
鉄塔直前で北方面の視界が開けた。冬型の天気のため北西は雲が多い。小津権現山が真っ白な頭を出している(13時20分、写真左)。東には百々ヶ峰が真正面に見える(写真右)。
鉄塔から北東に眉山を見る(13時20分、写真左)。この山も高2の春休みに毎日登った山だ。登るといっても、ザック1つの身軽な姿ではなくて、トランシットやレベル、平板を担いでの登山だった。若かったというべきか。鉄塔周囲はよく刈り払われていて、抜群の眺望が楽しめる。写真右は三角点「石谷」から御望山、そしてはるか遠くに舟来山と池田山を望む。あまりの眺望の良さにいつまでもとどまっていたくなるが、山頂はまだ先である。先を急ごう。
山頂を目前にして東を振り返ると、金華山が見える(13時43分、写真左)。赤や青のテープをたどって着いた城ヶ峰山頂は、平坦だが樹木のため眺望は得られなかった(13時44分、写真右)。なおここには三角点は設置されていない。あまりにもフラットなため、三角点設置場所としては不適ということだろうか。ここで小休止するも、往路を引き返すのはつまらないので、地形図とにらみ合わせながら「石谷」まで尾根を歩き、そこから下山するルートを選ぶ。
途中、やせ尾根となる部分もある。尾根ははっきりしていて、道を誤る心配はなさそうだ(13時52分、写真左)。途中のピークには、コンクリート製の祠が祀られている(13時59分、写真右)。近年訪れる人もあまりなさそうだが、里山の歴史を物語っているようで興味深い。やはり白山神社なのだろうか。
祠から急斜面を下る。地形図で見ると、城ヶ峰はここを下った鞍部で主稜線を西へ振って、「石谷」へと続いていることがわかる。岩相も変わるようだ。写真左は鞍部への下りから石谷集落を見下ろした所(14時07分)。見失いそうになる踏み跡を青テープと白テープに助けられながらたどって、14時29分に「石谷」山頂に着く(14時29分)。三角点付近はあまり広くはないが、数名の小宴会ぐらいはできそうだ。ベンチのように倒木が集めてあるので、訪れる人もいるのだろう。三等三角点で、国土地理院の点の記によると、所在地は岐阜市大字石谷字南山702番ー1となっている。標高は254.62m。さてここで今日初めての大休止。湯を沸かして、持参したドリップコーヒーを入れる。実にうまい。低山はこれに限る、と一人悦に入る。
昼寝するには寒いので、15時下山開始。地形図と現地形をにらみ合わせて、ここから南へ下る下山路を見つける(写真左)。非常に見つけにくく、それこそルートファインディングの訓練みたいなものだが、幸い先人のテープを頼りに下る。何度か道を見失いそうになりながら、15時14分道路へ降り立つ(写真右)。ああ、ここに出るのか、といった感じである。
駐車地点へはのんびりと戻る。城ヶ峰というよりは、城田寺丘陵といった方が自分としては実感がある山並み。順にピークを目で追いながら、それぞれに印象を焼き付ける。駐車地点へ戻ったのは15時51分だった。休憩も含めてちょうど3時間の山歩きだった。
※城ヶ峰までは登山路もわかりやすく一般におすすめできる山だが、石谷を経て丘陵西端へ下山する縦走路(?)は地形図とコンパス必携である。もちろん藪こぎの道で、長袖長ズボン必携だが、歩くことのできる季節は限られる。さて、今回も里山と歴史との関わりを印象づけられた山歩きだったが、ここに記載できなかった観察事項の詳細は稿を改めて報告したい。我々の知らない歴史がまだまだ満ちあふれている、そんなことを改めて知らされた山行きだった。下山後早速岐阜県図書館へ向かったことは言うまでもない