菩提山(401m)と明神山南東尾根
2004年12月25日
不破郡垂井町菩提より

レリーフの等高線は20m。スケールの単位はm。

久しぶりの菩提山。この前に登ったのが1997年のことだから実に7年ぶりとなる。天気は快晴で、気温は低いものの無風で気持ちがいい。白山神社参道前の駐車スペースに車を止める。写真左の階段を登る(9時17分)。しばらくすると、白山神社に着く(9時23分、写真右)。
ここからは丸太階段が続く(9時26分、写真左)。以前はもっと歩きにくかったような気がするが、その後整備され直したのだろう。尾根に取り付くと、伐採された平坦地に出た(9時31分、写真右)。グリッド設定跡が見られ、発揮調査後であることがわかる。杭は既に抜き取られ、ベルトも撤去されていない所を見ると、遺構は検出されなかったのかもしれない。どうやら展望所か休憩所を作る計画でもあるようだ。
しばらく細い尾根を登ると、岩崎神社方面からの登山道と合流する(9時43分、写真左)。帰りは岩崎神社へ下りることとしよう。ここから急勾配を登って、やや緩斜面となった所で、尾根の両端に竪堀が掘り込まれていることに気づく(9時54分、写真右)。ここが菩提山城の大手道の最先端の防御施設となる。写真は道両側に設けられた竪堀を上部から見た所。
10時山頂に到着(写真左)。下草は既に枯れて、広々としている。誰一人としていない静かな空間が広がる。ここは菩提山の山頂であると同時に、菩提山城の主郭でもある。さてしばらく遺構を見学した後に、今日の主目的でもあるここから南西に延びる尾根へ向かうことにする。「台所曲輪」と説明版にある曲輪まで戻り、そこから副郭を巻いて2の曲輪に出る。現状でも深さ7メートルの堀切へ下り、さらに説明版に「出丸」とある曲輪へよじ登る。ここから南西に急斜面を10メートル以上も滑るように下りると、城郭遺構の南西の端に出る(10時47分、写真右)。ここは二重堀切となっていて、こちらからの敵の侵入に強固に備えていることがわかる。写真右のうち左側が内側の堀切、右側が外側の堀切。
2重堀切を過ぎると、人為的な造作は何も認められない自然の尾根歩きとなる(10時55分、写真左)。この時期、下草はなくてヤブこぎにはならないものの、誰も歩く人はいないようで、行く手の枝をへし折りながら進む。尾根部分では気持ちのよい尾根歩きが楽しめる(11時09分、写真右)。
とはいうものの、所々尾根筋を見失いそうになり、赤テープを巻きながら進む。樹幹からは遠くの山並みがわずかに見える(写真左)。11時19分、目の前のピークに立つ鳥居が突然目に飛び込んでくる(写真右)。杖立神社に関係するものだろう。ここが明神山から南東に延びる尾根との接合点である。鳥居に立つと、その向こうに尾根を掘り割った掘り割り道が明神山に向かって延びている。
写真左は掘り割り道。まずはこの道をたどって、明神山方面へと登る。明神山には杖立神社があると同時に、その西に岩手峠があり、関ヶ原から春日に抜ける交通の要所でもあった。11時24分、明神山への途中のピークから関ヶ原を望む(写真右)。遠くに見えるのは霊仙山。
眼前に明神山が見えることを確かめて、ここからササに覆われた道を戻る。夏はマムシがウヨウヨいることは確実で、来たくない所だ。今度は掘り割り道を南へ下って、その先を確かめる。途中で尾根は緩斜面となり、掘り割り道はなくなっている。その辺りでいくつかの道に分岐して下っているようだ。あちこちをウロウロしてから、往路を菩提山まで戻る。菩提山山頂で湯を沸かして飲むコーヒーはうまかった。写真右は山頂からの眺望。
帰路は途中まで往路を戻り、岩崎神社方面の指導標に従って下山する。この道にも途中に調査後らしき地点に出会った(写真左)。2メートル方眼のグリッドを設定したらしく、グリッドごとに土嚢が敷き詰めてあった。ここにも休憩所の計画があるのかもしれない。こちらの道は往路と違って、丸太階段は腐りかけていたり、途中で何本もの木が倒れて道をふさいでいたりと、さんざんだった。船ヶ谷林道に下り立ったのが13時26分だった(写真右)。
明神湖堰堤の下を通って、大回りをして登山口へ戻る。途中には竹中重治菩提寺である禅憧寺があったり、歴史を肌で感じながらのんびりと歩くことができた。上は写真は途中で撮影した菩提山。
※菩提山へは時間が許せば白山神社を登山口に、岩崎神社を下山口にして、麓のハイキングを含めて計画すると楽しい。時間がない場合は往路を戻ることになる。菩提山から明神山南東尾根との接合部までの尾根歩きは、眺望もなく一般向きではない。赤テープ必携。山頂の菩提山城の案内板は簡略ながら遺構の特徴をよく捉えていて、見学の参考になる。県道の「菩提山砦跡」の案内標識とは異なる、戦国時代末期の大規模な城郭遺構がよく残っている。本日の尾根歩きの目的は閑話休題で。