横山南部(310.2m)
2004年10月16日
滋賀県長山東町観音寺より

レリーフの等高線は20m。スケールの単位はm。

久しぶりの快晴の週末。湖北の山本山から賤ヶ岳方面への縦走を予定したが、登山口で「3日前にクマが出ましたよ」との声で足が止まる。クマぐらい、こちらの自宅前にだって歩いていたぞ!山本山にクマがいるのは当たり前だろう!とは思うものの、わざわざ会いに行く勇気もなく早々に撤退。まあこんな時はと、前回の長浜市と山東町の境界にあるスーパー低山、横山丘陵の南部縦走へと予定を変更。今回は石田山公園からではなく、丘陵東側の観音寺からスタート(11時06分、写真左)。観音寺は石田三成がまだ佐助として行儀見習いに出仕していた時に秀吉に3杯の茶を差し出したことで名高い、湖北の名刹である(写真右)。
観音寺見学は下山後として、池の畔から登山口へ。池の向こうにはまばゆいばかりに伊吹山が輝いていた(11時11分、写真左)。登山口には道標がある(11時12分、写真右)。
観音坂の道はよく整備されているが、所々草が覆い茂っている(11時19分、写真左)。途中で鏡岩を見学(11時23分、写真右)。説明板も立てられている。虫が結構飛んでいて、蚊に刺されるので持参した蚊取り線香に火を付ける。まさかとは思うが、クマとの遭遇も心配。念には念を入れて、鈴の他に携帯ラジオも付けて歩くことにする。
写真左はお化け岩。別名袈裟懸け岩というらしい(11時25分、写真左)。ほどなく観音坂峠に到着(11時31分、写真右)。ここへ訪れる人は結構いるのかもしれない。観音坂は深い堀切状となっている。ここから南へ階段を上って、縦走路を一路南下する。
横山縦走路の南部は北部とほぼ同じような状態だった。鉄塔巡視道をつなぎながら道が付いているが、鉄塔のあるところは樹木が伐採されているため、下草が一面に茂っていて道も消えかけている。少々うんざりするような状態だが、鉄塔を離れるとクモの巣と倒木をまたいだりくぐったりする以外は快適な道である。誰とも出会わないのは、横山北部縦走と同じ。途中伊吹山を十二分に堪能した(11時33分、写真左)。縦走路はその名の通り横山丘陵の稜線上をたどっているが、そこには何箇所もの削平地や曲輪が設けられていた。明確な堀切は見いだせなかったが、明らかに中世城郭である。時期についてはもう少し検討する必要があるが、横山城攻城戦に際して作られた陣城と早計には決めつけられない。近江から美濃への出口として戦略上の要所を占めることから、築城の契機はそれ以前からあったと見た方がよさそうだ。
縦走路はまだまだ続いているが、途中で植林帯を下りるルートに従って、下山する(12時39分、写真左)。そこには今年4月に開通したばかりの新しいトンネル、新横山トンネルが開けていた(写真右)。旧道には車1台としてやってこない。旧道横の記念碑で小宴会。
美濃の人間からすると山は北という感じがしてならないが、目の前には霊仙山がそびえている。そういえば、今も霊仙山で連絡がとれなくなっている登山者がいるとのニュースが報じられていた。13時15分、ここを出発。途中の道標でここが「菅江」であることを知る。何せ急に予定を変更したもので地形図すら持っていないという低山歩き。「菅江」は「すえ」と読むらしく、途中の小公園に「すえの里」と案内板があった。案内板の上に須恵器が乗っているが、どうみても色調は土師器だ。
乾いた空気の中、気持ちの良い足どりで観音寺へ戻る。途中の伊吹山の遠望は最高(写真左)。圃場整備された中に塚本古墳の横穴石室の残骸が残っていた。観音寺へ戻り着いたのが14時16分だった(写真右)。
さて観音寺の見学。観音寺は正しくは伊富貴山観音寺といい、天台宗の寺院。寺伝によると正平2年(北朝の貞和3年、1347年)に伊吹山中より今の地へ移転したとあるが、同寺の文書によるともう少し古い正元年間であろうと考えられている。ここが大原庄に当たるところから大原観音寺ともいう。観音寺は佐々木氏、浅井氏、そして秀吉とその庇護を受けている。最盛期には23坊あったというが、今では僧坊の跡のみ。現在では玉泉院1つが復元されている。さて、本堂は正徳5年(1715年)に建築された五間四面の御堂。国の重文。さてここから石仏をたどって、横山城南郭まで登り返す。いくつか不十分な削平地はあるものの、横山城南郭近くまで明確な遺構はない。この道は横山城の搦手筋であることを実感する。南郭ベンチで休憩した後に、縦走路に沿って南へ下ると、刈り払われた展望地へ出た(15時23分、写真右)。ススキが太陽に輝いていた。
西には琵琶湖が広がっていて、絶好の展望地だ(15時23分、写真左)。しばらく景観を楽しんだ後、観音坂への急斜面を下る。観音坂着が15時33分(写真右)。観音坂を観音寺まで下る途中の朝日古墳などを見ながら、観音寺へ戻ったのが15時42分だった。
※それにしても今年のクマ騒動は異常だ。天候が不順だったからといわれているが、山本山から南へ2キロほどの農協倉庫でクマが捕獲されたのは、10月5日のこと。山本山から下ってきたのだろうといわれているが、それにしても多い。登山者がクマに遭遇して被害にあったという報告はほとんどなく、大半が人里の畑などに現れたというもの。登山者の一人の居住地でも先週クマを見たという通報があり、村の放送で警戒を呼びかけているが、イノシシを見間違えただけではないか、という人もいる。人がクマを追いやったそのしっぺ返しなのだろうか。ちなみに横山丘陵にクマはいないようだ。経験では、クマの生息域では樹木に爪痕が残るからだ。