横山(311.9m)
2004年10月10日
滋賀県長浜市茶臼山古墳より

10月の3連休とくれば誰しも快晴の秋晴れを期待したいもの。ところが今年は台風の襲来があって、常念岳−蝶ヶ岳縦走計画は直前のボツ。台風通過翌日のこの日も、岐阜は小雨混じりの低い雲。仕方なく傘持参で湖北のスーパー低山、横山を歩くことにした。槍穂を眺めての縦走とは比べものにならないが、まあ仕方ないか。滋賀県に入ると、暑いぐらいの日差しが降り注いでいた。いかし伊吹山には岐阜県側から次々と黒い雲が上がってきている。始めに息長陵を見学(10時18分、写真左)。敏達天皇皇后の広姫陵墓の伝承を持ち、宮内庁の管轄となっている。かつて開墾された時に家形石棺が出土していて、宮内庁書陵部資料によると前方後円墳であった可能性が高い。いつものように、茶臼山古墳麓に車を止めて、まずは茶臼山古墳の見学(10時40分、写真右)。石碑は後円部墳頂に立てられているが、戦前の歴史を物語るものだ。信長が浅井氏を攻めた時には、ここに家康が布陣している。
信長が布陣した龍ヶ鼻砦跡(龍ヶ鼻古墳群)を見学して、縦走路を南へ下る。写真左は総山砦跡(11時16分)。今年の試掘調査によって、写真中央の鞍部から堀切が検出されている。台風のためか、倒木をよけながら縦走路を歩いて、横山城北郭に着く(12時22分、写真右)。ここまで誰とも出会わなかったが、ここも貸し切り状態。小谷山と山本山、そして琵琶湖に浮かぶ竹生島がよく見える絶好の地だ。
東には伊吹山(写真左)。360度の大展望は、ここがわずか300mたらずのスーパー低山であることを忘れさせる。戦略上の拠点として、戦国期に争奪が繰り返されたはずである。北郭は公園となっている(写真右)。1か月前と比べて、下草がきれいに刈り払われている。秋の遠足シーズンにはたくさんの小学生や幼稚園児が訪れるという。ここで小宴会とお昼寝。日差しは暑いが、風は強く心地よい。汗で濡れた服もあっという間に乾いてしまう。
下山前に土塁で囲まれた南郭(主郭)を見学。ここに秀吉が居住していたことは確実で、時の流れを遡って不思議な思いがする。写真左は観音寺から続く道に置かれた石仏。主郭を後にして北郭に戻ると、主郭の観音堂から鐘の音が響いてきた。鐘を突きに来られる人がいるのだろう。下山路は石田町への尾根道。この前は途中から林道へ出たが、道の長さに閉口したので今回はそのまま石田山公園を経て日吉神社まで下りた(14時41分、写真右)。
一帯は戦国の学習の道となっていて、秀吉や石田三成にまつわる武将の案内板が続いている。写真左は石田三成屋敷跡伝承地。字名が治部とされることから伝承地として推定されている。途中で垣籠古墳を見学しながら、茶臼山古墳麓に戻ったのが15時38分だった(写真右)。いつの間にかあたりは暗くなり始め、岐阜戻る頃には土砂降りの夕立となつていた。この季節に夕立とはまったく変な気候だ。
※今頃は常念岳から蝶ヶ岳への稜線から槍穂を眺めているはずなのに、とため息混じりの低山縦走だったが、結構楽しめた。何よりも人が少ない(というより誰もいない)のがいい。しかも山頂からの眺望は360度と、ここが低山であることを忘れてしまうほどだ。縦走路を開いた長浜熟年山歩会の皆さんに感謝しつつ、この縦走路をさらに米原までいつしか歩いてみたいと思った次第である。