明神山(658.8m)・明神下(667.4m)
2004年7月19日
岐阜県不破郡関ヶ原町明神の森より


レリーフの等高線は20m。スケールの単位はm。

昨日の大雨のため揖斐川は増水。夜叉ヶ池から三国岳への登山は再び断念。朝になっても北から次々と雲が押し寄せている。気象協会のリアルタイムレーダーによると春日村方面はあまり降らなかったらしい。それならばと、こんな時にしか行けないようなマイナーな明神山と明神下を歩くことにした。春日谷を古屋へと車を走らせ、さざれ石公園へ右折せずにそのまま岩手峠への狭い道を走る。旧岩手峠をすぎたあたりに池田山からの沙羅林道が接続している(写真左)。ちなみにこの接続は近年のことだが、これらの広域林道のあり方には疑問を呈せざるを得ない。ちなみに写真に写っているタイヤ痕は一帯に甚だしく、たくさんのタイヤのゴム片も散乱していて、夜になるとどのような状態であるか容易に想像できようというもの。10年ほど前に整備された明神の森の明神神社前の駐車場に車を止める。ここには休憩舎まである(9時34分、写真右)。
歩き出すとほんのわずかで明神神社に着く(写真左)。神木の杉の大木もある。明神神社は「美濃国神名帳」に記載されている不破郡坐82社のうち「従五位杖立明神」と記されている。なお不破郡坐82社は「美濃神名帳」が記載する美濃国坐382社の中でも破格に多い。不破郡坐82社筆頭は勿論「正一位勲一等中山金山彦大明神」である。ここから尾根に沿ってしばらく登ると、早くも山頂に到着(9時47分、写真右)。三等三角点が埋設されている。こんな山に来る人はいないだろうと思ったら、「イセ愛山会」のプレートがあった。美濃の低山を行くと必ずといっていいほどこのプレートと出会うことができ、感嘆。国土地理院の「点の記」によると、点名は「明神」所在地は不破郡関ヶ原町大字関ヶ原字川合4079番で、標高658.79mとなっている。
三角点をさらに進むと、「眺望の丘」と掲示された休憩ベンチがある。しかしあたりは荒れ放題といった感じで、南方向の眺望も杉の木の成長のおかげで全くない。これらの施設が作られるのは簡単であっても、それをどのように維持・活用していくかが難しいことを感じさせる。ここで山道は終わり。わずかな踏み跡らしきものが残ってはいるが、ナタ・カマ必携なのでやめ。ここから往路を戻らず西へ伸びる尾根に付けられた丸太階段を下りる(写真右)。
一度明神神社前駐車場まで戻り、車で町村境を越して春日村側に再び車を駐車。北西に延びる尾根に沿ってつけられた、かつての林道を歩く(10時16分、写真左)。林道終点から尾根に取り付く。送電鉄塔のために切り払われた尾根上には所々にネジバナが咲いていた(写真右)。ラン科の植物で、たくましい生命力によって近年その生育範囲を広げているという。
送電鉄塔を過ぎると、尾根上の踏み跡をたどる。かつて村人によって踏まれた尾根には、所々に境界杭が打たれている。低山は標高の高い山岳に比べてはるかに迷いやすい。ピークを踏むたびに地形図とコンパスで位置を確認しながら進むが、紛らわしい尾根が幾本も派生している。しばらく進むとピークに付き、ここに四等三角点が埋設されていた。上記「点の記」によると点名は「明神下」。標高は667.40mで揖斐郡春日村大字川合字尾又西平3841の2番地所在となっている。さすがにプレートはなかった。
上の写真は帰路に撮影したもの。写真左は尾根上に踏み込まれた踏み跡。土橋状に踏み跡が残っている(写真右)。11時15分車へ戻り、帰路は関ヶ原へ抜ける県道234号を下る。延々と続く狭い山道だった。

※明神山の標高は600mを超すものの、車道利用で簡単にたどることができる。一方の明神下への登山道などはなく、迷いやすく地図とコンパス必携である。もう少しルートが長ければ赤テープもあったほうがよいような藪山であるが、麓の集落との長い歴史を感じさせる山だった。