鎗ヶ先(965.6m)
2004年5月15日
岐阜県揖斐郡春日村美束より

鎗ヶ先登山ルート図
レリーフの等高線は20m。スケールの単位はm。
今日は春日谷の山、鎗ヶ先を目指すことにする。昼ぐらいから雲が覆うという天気予報に、早朝から歩き始めようと、自宅を6時15分に出発。揖斐川町から春日村に入り、7時05分、美束の中瀬付近のスペースに車を止める。以前は気づかなかったが、「鎗ヶ先登山口」という標識が立っている(写真左)。中山間農村整備事業により、山麓に広がっていた小さな水田は大きく区画整理されていた。仕事でこの農地一帯を最後に訪れたのは、もう10年ほども前のことで、その変わりように驚いた(写真右)。整備された農道の向こうに、鎗ヶ先がそびえている。鎗ヶ先の名の通り、稜線から山頂が一際突きだしていることがよくわかる。
7時13分、猪垣(ししがき)の門を開ける。「開けたら閉める」と書かれているが、ゴムチューブを使ってひとりでに閉まるよう、うまく工夫されている(写真左)。猪垣を越すと、杉林の中の踏み跡をたどる。指導標識は何もなく、マジックで書かれた目印も消えかけていた(7時18分、写真右)。
しばらく山麓の緩やかな緩斜面を歩くと、踏み跡は尾根上に続くようになる。このあたりから、踏み跡は山道に変わる。しかしこれは鎗ヶ先へとつけられた登山道ではなく、かつての炭焼窯への往来のための炭焼きの道である。7時33分、25000分の1地形図の612m独標のピークを巻いて道は進む(写真左)。しばらく登ると、片小屋に着く(7時39分、写真右)。冬季はたためるように、簡単な構造になっている。
片小屋から少し藪をこぐと、赤い目印が下がっている(7時52分、写真左)。さらに登ると、寺本方面からの登山道と合流する。木の幹に「寺本、中瀬」と矢印が書かれた布が巻かれている(7時55分、写真右)。登山ルートは基本的に尾根にあるので、風が吹き抜けて涼しさいっぱいである。しかし南風であることが、天気が下り坂であること暗示している。
水平な尾根の付け根にある炭焼窯跡を過ぎると、急登の連続となる。写真左は炭焼窯跡から山頂方向を見た所(8時02分)。さらに稜線直下は最後の急登となる(8時16分、写真右)。花崗岩の風化土壌が覆っていた表層は砂岩と粘板岩の互層に変わり、それらの岩につかまりながらの急登である。
斜面を一気に登ると、8時23分に稜線に到達(写真左)。雲は南から北へ上っているが、まだ強い日差しが差し込んでいる。稜線上を山頂目指してしばらく歩くと、8時27分いきなり山頂に到着(写真右)。誰もいない静かな山頂だが、木立はなく直射日光だけが照りつけている。
山頂は一部が刈り払われているが、すでに木々は新緑でいっぱいに覆われていて、あまり見通しは良くない。わずかに切り開かれた一部からは国見岳、国見峠、そして虎子山への稜線が見えた(写真左)。北を見ると、枝の間から蕎麦粒山もかすかに見える。南西方面はもう少し視界が開けていて、上ヶ流から春日谷の出口を遠望することができた(写真右)。
あまりにもあっけなく着いてしまったので、腹ごしらえにはまだ早すぎ。これでは朝飯前登山になってしまう。しばらく木々の間から山並みを見てひとときを過ごして、8時50分に下山を開始する。下山路は往路を戻る。登山路は両側から草木が押し出していて、今にも覆い尽くさんばかりである(写真左)。尾根を下り、赤い布きれの目印から急斜面を下る(8時27分、写真右)。
山麓近くになって、ホウチャクソウが花を付けていることに気づいた(写真左)。早春の花は既に終わっていて、季節は春から夏へと移ろうとしていることを告げていた。9時50分、農道に到着(写真右)。
田植え目前の、水が張られた水田越しに鎗ヶ先を振り返る(写真左)。西を見ると、国見岳がそびえていた(写真右)。下山時には空は少しずつ薄雲が覆いつつあった。誰とも出会わない、静かな山歩きだった。
※鎗ヶ先山頂に埋設された三角点は三等三角点で、所在地は春日村大字美束字見原谷204番の1となっている。国土地理院の点名も「鎗ヶ先」となっているが、地元ではこの山は「テンガタケ」と呼ばれてきた。もうずいぶん前になるが、春日村から仕事を依頼され何度も村を訪れたことがある。その時に教育委員会担当者から、最近「ヤリガサキ」についての登山道の問い合わせが町の人から増えているという話をうかがった。役場では「テンガタケ」ではなく登山者が「ヤリガサキ」と呼ぶことを不思議に思っている、ということだった。その後に刊行された揖斐郡教育会編「岐阜県揖斐郡ふるさとの地名」の際の地名分布調査でも、「ヤリガサキ」は採集されていない。ここでは「テンガタケ」のみが記録され「天が嶽」の表記が当てられていることからも、春日村では「テンガタケ」と呼ばれていた山であることは間違いない。しかし美束の古老によると、現在は春日小学校に統合された美束小学校校の旧校歌(廃校時の校歌ではなく、それ以前の旧校歌)では「ヤリガサキ」と歌われていたというから、地元で全く「ヤリガサキ」と呼ばれていなかったかというと、そうでもないらしい。どうやら春日村へは美束小学校の旧校歌として「ヤリガサキ」の呼称が町から持ち込まれたということのようで、その名称は三角点の点名命名に由来するということになりそうである。三角点の点名命名のさまざまなケースについては、機会を改めて考えてみたいと思う。