金糞岳(1317m)と白倉岳1270.7m)
2004年5月1日
岐阜県揖斐郡坂内村鳥越林道より


レリーフの等高線は20m。スケールの単位はm。
連休の初日となった今日、近くの山でありながらこれまでなかなか行けなかった山の一つ、金糞岳へ行くことにした。金糞岳は美濃・近江境にある名だたる藪山として知られているが、美濃側からのアプローチは藪こぎとなるため、どちらかというと滋賀県側の山という感じがしている山である。近年鳥越林道が整備され、滋賀県側とつながってからは簡単に山頂を踏むことができるようになったという。はたしてどうか。家を6時45分に出て、林道を走らせる。峠で閉鎖されて通り抜けはできないらしいが、峠までは支障はないという。もう少しで峠というところに車5〜6台分の駐車スペースが作られていて、なんと立派な「金糞登山道」という看板まで立てられている。7時25分、出発。まだ車は1台もいない。地形図で見ると尾根まではわずかだ、と思いながらジグザグになった登山道を登る。途中、まだ残雪が残っていた。7時31分、尾根に出る(写真右)。なんとあっけないことか。かつて、登山道が整備されるまではこの道は藪こぎ、また藪こぎの難所だったはずだ。中津尾根の登山道も切り払われていて、まるでハイキングコースと化している。ここで滋賀県側からの登山道と合流する。誰もいそうもないので、胸ポケットのラジオの音量を上げる。
途中、イワウチワがまだ花をつけていた。ショウジョウバカマもここではまだ盛りといった感じだ(写真左)。藪こぎを覚悟してきただけに、拍子抜けしてしまう。尾根上の登山道を進み、展望台のような刈り払われているところに立ち振り返ると、伊吹山、その向こうには養老から鈴鹿の山並みが見えてきた。少し霞がかかったようにはなっているが、快晴だ(7時58分、写真右)。
登山道は尾根に沿って、ところどころ掘り割られている。少し狭くて、「モデル歩き」を強いられるが、それもつかの間。あっという間に山頂に近づく(8時02分、写真左)。うれしいことに、登山道の両側にはカタクリの花がいっぱいに咲いている(写真右)。訪れる人も少ないのだろうか、と思っていると、どうも所々に採集していったあとがある。誰でも簡単に来ることができるようにになったということだろうか、心ない仕業である。
8時12分、山頂に到着(写真左)。登りだしてから、あっという間だ。山頂は平坦でフラットになっている。山頂を示す石柱が立っているが、ここには三角点はない。また猛烈な笹で木に登らねば眺望は得られないという山頂も、北から東方面は刈り払われていて、すばらしい眺めだ。東を見ると、手前から湧谷山、蕎麦粒山、能郷白山、加賀白山が重なって累乗たる山並みを見せている(写真右)。
こんなに簡単に1300mの頂を踏んでいいものか、と拍子抜けしてしまった。これでは朝飯前登山になってしまうので、ここから西へ稜線をたどり白倉岳を目指すことにした。かつてこの道はなかったというが、現在では登山道が開かれているという。8時21分金糞岳山頂を出発、藪の間から白倉岳を望む(写真左)。少々スリリングなやせ尾根から、滋賀県側の深谷(みたに)と東俣谷川を見下ろす(写真右)。遠くは伊吹山。
やせ尾根を鞍部まで下りると、地形図上に記された登山道である深谷沢登りコースと合流する。遭難のおそれがあるからこのコースは避けて、尾根コースを進むようにという、剥げかかった掲示板がある。鞍部を過ぎて、登り返しは所々に岩稜が出て、ロープもかかっている。やっとハイキングから登山らしくなった。登山道横にはタムシバの花がきれいだ(写真左)。まもなく山頂が見え始める(8時45分、写真右)。実際の山頂は写真のピークよりも少し先にある。
8時49分、山頂到着(写真左)。藪のため360度の展望とはいかないが、少し背伸びをすると北から東の山々が見渡せる。またここから登山道に沿って、少し西へ行くと、己高山など湖北の山並みを見渡すことができる。山頂には三角点が埋設されていて、倒れた標識には「一等三角点」とも読めそうな文字が書かれている。しかし三角点は一等三角点の規格に比べて小さい。よく見るとペンキが剥げていて、「二」の上の横棒が消えているらしい。戻ってから国土地理院の「点の記」で調べると、やはり二等三角点だった。点名は「深谷(みたに)1」で、所在地は滋賀県東浅井郡浅井町大字高山字深谷1856番地の7となっている。空測用の対空標識が残っていて、平成13年とある。そのときに一部が刈り払われたのだろう。ここまで誰とも出会わない、静かな山である。ここで早すぎるが、腹ごしらえをする。朝の気温は7度だったが、日差しは容赦なく降り注ぎ、暑くてたまらない。9時30分、白倉岳山頂を出発。写真右は白倉岳から金糞岳を見たところ。
登山道横にはシャクナゲ、カタクリ、そしてイワナシの群落があった。今年訪れた中で、一番イワナシの群落が目立った(写真左)。岩稜から藪に覆われた金糞岳を見る(9時44分、写真右)。
10時06分、金糞岳山頂に戻る。山頂には1人の登山が訪れていたが、白倉岳方面へ歩いていった。加賀白山方面の眺望はいつまで見ていても見飽きることがない(写真左)。少しするとまた1人登山者がやってきた。聞くと、大阪を早朝に出発して、滋賀県側から登ってきたという。林道が通行止めとなっていたので、追分から3時間かかって登ってきたという。それが本来の登山道で、だからこそヤマケイの分県登山ガイド「滋賀県の山」では星2つとなっている。現在刊行中の改訂版では星は1つになってしまうことだろう。簡単に訪れることができるせいだろうか、山頂にはゴミが多く、拾い集めるとかなりの量になった。なんだか複雑な気分である。大阪からの登山者は、これから中津尾根を下って、七々頭ヶ岳へ登ってから帰るとのこと。見送って、10時57分に山誰もいない頂を後にする。下山路は往路を下ったが、途中で何組もの登山者とすれ違った。岐阜県側から登ってきた人と、滋賀県側から登ってきた人とでは、その様子からすぐ見分けがついてしまう。そういえば、以前に高賀山でも同じ経験をしたことがある。あのときはとてつもなく長い石段を登ってみると、尾根の向こうに突然林道が現れたのだった。ゆっくりと写真を撮りながら下山したので、駐車スペースに着いたのが11時41分だった(写真右)。車は4台に増えていた。
林道を少し走らせると、鳥越峠に着く。峠はゲートで閉鎖されていたが、無理矢理どけて通過する車もあるらしい。双方から何台もの車が訪れていた。写真左は林道から金糞岳とその向こうの白倉岳を見たところ。写真右は林道を下ったところから、振り返った所。
※今日は朝は寒いぐらいで、その後は暑くてたまらないという、気温の変化の大きい1日だった。林道のおかげで簡単に登れるようになってしまったのだが、その功罪を思わざるを得ない。翌5月2日にもう一度同じコースで歩いた。ガスが上ってきて、全く眺望は得られなかったが山頂は怖ろしいほどの人であふれかえっていた。右の写真は山頂から白倉岳への藪こぎの様子。軍手、長袖必携。
※鳥越峠に立って、その両側の谷を見下ろして昔の峠道を探したが、姿形もなかった。かつて朝史門氏(森本次男氏のペンネーム。)は「山の風景」(昭和23年)でこう述べている。「峠は亡びんとするばかりか、其のかつての存在理由すら忘れられてしまはうとしている。・・・いずれ峠の如く山村は唯、都会の延長にすぎなくなって山旅人を悲しませることだろう」と。

金糞岳登山道からの展