塔ノ倉(715.7m)
2004年3月21日
岐阜県揖斐郡久瀬村乙原聖心殿より


レリーフの等高線は20m。スケールの単位はm。
先週、久しぶりに妙法ヶ岳を歩いたら、まだこの他にもしばらく歩いていない近くの山があることに気づいた。その一つが、塔ノ倉である。調べてみるとこの前歩いたのが1999年の秋のことだから、本当に久しぶりである。朝の気温は2度。寒さに震えながら、聖心殿前の駐車場に車を置かせていただいて、出発する(8時06分、写真左)。いつものことながら誰もいない。奥の院までは塔ノ倉谷に沿って道があり、ところどころに石段が設けられている(8時15分、写真右)。しかしあちこちで崩れかかっているところもあり、以前と比べて少々荒れ気味か。
谷を右、左とわたるうちに、いつの間にか谷水は伏流してがらがらの登山道となる。岩盤にはりついた巨大なスズメバチの巣は昔のまま。季節によってはちょっと怖い(8時21分、写真左)。8時17分、奥の院に到着(写真右)。社殿奥の岩陰には清水が湧き出ていて、いかにもそれらしい雰囲気を持っている。ここで小休止。日陰のせいか、結構寒く感じる。
さてここからは中部電力三岐幹線の鉄塔巡視路を利用する(8時37分、写真左)。奥の院から左へ山腹を進むが、ザラザラと不安定な道。山腹を巻いている道をしばらく登ると、切り開かれた鉄塔へ出る(8時43分、写真右)。始めに来たときはこの巡視路を見失って、地形図とコンパスを頼りに岩盤がせり出した尾根を無理矢理のよじ登った。本当に難儀して登ったら突然巡視路が目の前に現れて唖然としたものだ。
鉄塔付近より山並みを眺める(8時44分、写真左)。遠くの山並みは手前から小島山、池田山、そして養老の山並みである。ここからややわかりにくい巡視路を利用して山頂を目指す。巡視路は尾根をはずして、つけられている。樹間からは白く輝く天狗山が見える(写真右)。
9時22分、山頂着。三角点付近には雪がまだ少し残っていた。それにしても昔は北の方角がもっと開けているような印象があるが、今ではほとんど何も見えない。かつては樹間から小津権現山も見えた。それは山頂からだけでなく、登山道からも見えたはずだが、植林が大きくなって今では無理なことである。この時期ですらこうだから、春を過ぎるとなおさらだろう。当然のことながら誰もいない。ここではほとんど人と出会った記憶がない。まだ時間は早いが、せっかくだからと湯を沸かす。ラーメンをすすり、コーヒーを飲むと至福の時が広がった。
10時05分山頂を出発し、往路を戻る。行きには気づかなかったが、遠くには伊吹山も頭をのぞかせている(写真左)。いつの間にか谷を吹き上げる風が暖かくなっていた。鉄塔を過ぎたあたりからスミレがわずかばかり花を咲かせていることに気づいた。奥の院をすぎたあたりから、ミヤマキケマンが少しずつ咲いていることに気づいた(写真右)。
さらに1か所だけだがコミヤマカタバミの小群落を発見した(写真左)。花期はまだこれからといった感じである。スミレも所々に咲いている(写真右)。
今回のお花見の最後はユリワサビ(写真左)。谷沿いの湿った礫地に咲いていた。11時21分駐車場に到着する。やはり今日も誰とも出会わない、一人きりの静かな山歩きだった。
※塔ノ倉の名称は国土地理院25000分の1地形図にも記載があり、また国土地理院の「点の記」の名も塔ノ倉となっている。これは久瀬村大字乙原字塔ノ倉に所在することによる。「クラ」は山地の地名である。揖斐郡内で25000分の1地形図に記載のある山地名は約40あるが、そのうち語尾に山のつく地名が28と圧倒的に多く、これに岳(嶽)、峯(嶺)、倉、丸、先と続く。倉は雷倉(イソクラ、と読むが、ライクラ、カミナリクラというところもある)と塔ノ倉の2つだけとなっている。クラ地名の両者を比べると、平坦な山頂に対して急傾斜で谷底へ下る地形となっている。揖斐谷ではクラは断崖を意味する地名である。これについては揖斐郡の地名分布調査の集大成ともいうべき揖斐郡教育会編「岐阜県揖斐郡ふるさとの地名」1992年を参照されたい。