2004年3月13日
岐阜県揖斐郡谷汲村華厳寺より


レリーフの等高線は20m。スケールの単位はm。
すばらしい晴天だが、風は北風で冷たく強い。最初は谷汲村のセツブンソウだけを見学するつもりだったが、せっかく谷汲へ出かけるのならということで、妙法ヶ岳を歩くことにした。通常これほどの群落をつくることは珍しいといわれるセツブンソウだが、ここでは見事な群落をなしていた。近年荒らされることが多いようで、住所、氏名、電話番号を記帳した上で見学させていただくことにする。ところでセツブンソウは石灰岩地帯の樹林内に群生する。白く花弁に見える部分は萼片で、花弁は2分裂することが多く、先端は黄色い蜜線に変化している。写真左からわかるだろうか。早春の花をゆっくり見学させていただいた上で、華厳寺村営駐車場に車を駐車する。今日は無料となっている。朝も早いため華厳寺への参道はまだ静かだ(8時55分、写真右)。
左は華厳寺本堂。ここから奥の院への山道を歩く(9時7分、写真左)。奥の院へは林道を歩いても近くまで行けるが、やはりここは一番札所から三十三番まで置かれた石仏に導かれながら奥の院を目指すのが楽しい。かなり急な山道をしばらく歩くと、三十三番札所奥の院へ着く(9時38分、写真右)。ここまで誰とも出会わないと思ったら、本堂前で3人の登山者が休憩していた。岩の隙間の石仏を拝んで、しみ出ている水を口にする。夏は暑くてかなわないこの道だが、ここを歩くには今が一番いい時期かもしれない。先を急ごうとすると先着の2人+1人連れ(?)が山頂へ案内して欲しいと後についてくることになった。鉄塔巡視路へ入り込まなければ迷いようがない。ちなみに登山道は東海自然歩道でもある。
奥の院を過ぎると登山道は傾斜を増す。一段一段の高低差が大きく、ちょっとやっかいな丸太階段をあえいで登るとまもなく稜線が見えてきた(10時7分、写真左)。はじめの頃後ろに見えた3人はいつのまにか声も聞こえなくなっていたが、まあ大丈夫だろう。ここからは気持ちのいい稜線歩きに変わる(写真右)。樹間からは雪をいただいた山並みが見える。
10時17分山頂着。山頂には三等三角点が埋設されている。国土地理院の「点の記」によると点名は妙法ヶ岳ではなく岐礼となっている。所在地は谷汲村大字岐礼字岐礼谷1203番地−1−24。山頂は樹木などによって眺望は悪いが、北方面に限っては夏に比べると樹間から望むことはできる。山頂から横蔵寺方面へつながる東海自然歩道を西へ少し下りると、鉄塔が立っている。ここならば樹木は切り払われているため見通しはよい。とはいっても以前に来たときと比べると植林が伸びてきて、南方面の眺望はずっと悪くなってしまっている。送電鉄塔があるため、おそらくまたいつか切り払われることだろう。北方面は揖斐谷を取り巻く山稜を望むことができる(写真右)。
鉄塔の所に着くと怖ろしいほどの強風が吹き付けていた。汗ばんだ下着が冷たい。着替えてウインドブレーカーを着込んで、湯を沸かしていると先ほどの3人連れが到着した。想像以上に大変な道だったと口々に話していた。そういえば、私も妙法ヶ岳から華厳寺への登山道は下山路としてしか使ったことはなかったが、その時もこれを登りに使うとしんどそうだと思ったことを思い出したのだった。写真左は遠望した小津権現山。山頂から左に伸びる稜線が高屋山から前衛峰を経て、やっと山頂へ至る登山道。時期が悪いのだろうが登るたびにその暑さに辟易して、もう二度といやだと思う小津権現山だが、考えてみると数年ごとに登っている。喉元過ぎれば熱さを忘れるということか。11時23分山頂を後にする。写真右は奥の院近くから望む徳積の集落。12時13分華厳寺本堂に着く。谷汲山はたくさんの参拝客でにぎわっていた。
※妙法ヶ岳を訪れたのは1998年以来のことで6年ぶりのこととなる。これまでは横蔵寺から延々と登山道を歩いて山頂をピストンしたり、車2台を華厳寺と横蔵寺に配して縦走したりしたが、どちらも華厳寺へ下るという歩き方だった。華厳寺から妙法ヶ岳山頂を目指す登山道は最短最速ではあるが、下山路として使った方がいいかもしれない。ところで久しぶりに訪れた妙法ヶ岳だが、いつの間にか山頂北直下まで林道が延びてきていた。確か以前にはなかったはずで何とも言えない思いで山頂を後にしたのだった。