金華山(330m)
2004年3月7日
岐阜県岐阜市三田洞ながら川ふれあいの森より


レリーフの等高線は20m。スケールの単位はm。
朝、家を出るときには雪が激しく降っていた。ここ数日で30センチメートル近くも降ったことになり、春の雪というよりは冬が再びやってきたみたいだ。岐阜市が近づくにつれ、明るい日差しへと変わっていった。今日は三田洞から百々ヶ峰を歩こうという計画。三田洞の弘法さんの近くにある神仏温泉は、まだ朝だというのに駐車場はもう満員。御利益があるのかしら。ふれあいの森駐車場はさすがに空いている。9時35分、管理用車道のケートをくぐる(写真左)。この前歩いたときに唖然とした例の車道である。こんな道を歩くのはかなわんと、しばらくして展望あずま屋への分岐道を登ることとする(9時39分、写真右)。
冷たく激しく吹き付ける北風とはうってかわって、日差しは春そのもの(写真左)。風がやむと汗ばむくらいだ。9時58分、展望あずま屋に到着(写真右)。あずま屋の横にはケルンまで積まれている。ケルン横に登ると眺望は実にすばらしい。
写真左はケルン横から登山道と、その向こうの眉山を見下ろしたところ。眉山の山頂には前方後円墳である鎧塚古墳が築かれている。毎日あの山に登ったのは1972年の3月から4月のことだった。あれからもう32年もたつ。いろんな意味で、忘れられない山の一つがあの眉山であることは間違いない。眉山と鎧塚古墳については機会を改めて述べてみたいが、今日は先を急ごう。あずま屋でしばらく休憩の後、10時10分尾根伝いの登山道を進む(写真右)。
尾根に沿って少しばかり高度を下げると、東海自然歩道と合流する(10時14分、写真左)。ここから権現山までの尾根歩きは強烈な階段登りが待ちかまえている(写真右)。しかし、丸太階段は高低差と歩幅を考慮してよく作られている。これならば歩きやすそうだ。
岩肌が覗く急勾配に丸太階段はなおも続く。先を歩く登山者が立ち休みをしている。百々ヶ峰登山道のうち最も険しい道かもしれない。10時37分、権現山山頂に到着する(写真右)。
1月に来たときにはちゃんと写せなかった白山神社の小さな祠(写真左)。祠は小さいがあたりは削平されていて、かつてはもう少し大きな祠があったのかもしれない。急傾斜の登山道を下りると、管理用車道が通る鞍部に出た(10時42分、写真右)。ここからしばらくは1月に歩いた百々ヶ峰と同じコースをたどる。
10時57分、百々ヶ峰山頂(東峰頂上)に到着。振り返ると低山ながらすばらしい景色が広がっていた(写真左)。遠くは雪雲に覆われていて、残念ながら御嶽山や恵那山、乗鞍岳などは見ることができなかった。
山頂はたくさんのハイカーがお弁当を広げていた。家族連れや親子、またおじいちゃんと孫といった、いろんな人が訪れているようだった。次から次へと登ってこられる人にベンチを明け渡し、百々ヶ峰西峰を経て反射板へと移動する。反射板到着は11時30分。ここにも数人が訪れていたが、東峰山頂に比べるとはるかに少ない。写真左は反射板から金華山と長良川を見た所。ここでお湯を沸かして、カップラーメンとコーヒータイムを決め込む。風は怖ろしく強く、冷たく肌を刺す。熱いコーヒーはおいしく、2杯もおかわりをした。12時10分、反射板を後にして歩き始めると、北の空は真っ黒な雪雲一色に変わっていた。下山路は中部電力鉄塔の巡視路を利用して、西峰から北に延びる尾根を一直線に降下する。しばらくすると激しく雪が降り始め、これはえらいことになったと思っていると、いつの間にか雲は通り過ぎていった。この下山路は尾根を一直線に下りているが、平坦なやせ尾根歩きと急傾斜のジグザグの道が交互になっていて、後者はややわかりにくいかもしれない。あまりここを歩く人もいないのだろう。ひとしきり尾根を下ると、ふれあいの森散策路に出会い、散策路をジグザグに下る。写真右には駐車場と登りに使った登山道が見えている。12時49分、駐車場着。
※今回のルートは三田洞を起点とした百々ヶ峰一周ルートとして、広く推奨できるコースである。最後の巡視路だけは看板など表示は一切なく、少しわかりにくいかもしれない。しかし地形図とコンパスを携行し地形と照合して歩くことさえできれば、車道や散策路を歩くよりもずっと楽しい。ところでふれあいの森散策路は道が多すぎて、一体全体どうなっているのかよくわからない。イラスト風のルート案内板ではなくて、地形に即した案内板が望まれる。それにしてもこんなに多くの道が必要なのだろうか。道を付けることで山肌が荒れることは避けられないし、散策路横に本来の植生以外の樹木を植樹して整備しているのも、いろいろな議論があってしかるべきであろう。