2004年1月1日
岐阜県本巣郡本巣町中谷より

どうもここ2年ほど正月は体調がよくない。昨年の正月は一昨年の暮れにスキーで靭帯損傷、うんうんうなっていた。この暮れは無事に白馬から帰ってきたものの、持病ともいえる腎臓結石が昨晩急に動き出し、これまたうんうん唸りながらの年越しとなった。朝方少し落ち着いたので、病院へ行く。2年続きで正月に病院行き、しかも当直医まで同じ医師だった。薬をもらったが、このまま戻るのはつまらない。幸い痛みは鈍痛化したので、ポケットに座薬をしのばせて、万が一に備えながらも低山ならいいかもしれない、と急遽思い立った。コンビニでペットボトルを2本買い、低山用としていつも車に置いたままになっているナップサックに詰めた。最初は昨春リハビリに何回も通った本巣町の権現山を考えたが、近くまで行って急遽大平山を歩くことにした。登山口がわからず、うろうろした末に中谷の寺院奥から尾根にとりついた。帰路にわかったことだが、写真左の八幡神社横から道は延びている。ただし、標識など一切なし。道も荒れ放題で見失うおそれがあることを覚悟しなければならない。写真右は尾根にとりついてすぐに藪こぎの登山道から山頂方向を見上げたところ(12時40分)。
尾根上には踏み跡があり、所々にオリエンテーリング用らしき看板が倒れたり、折れかかって立っている。かつてここをハイキング道として整備しようとしたのだろう。しかし今では完全に荒れ果てていて、踏み後は所々消えかかり、藪こぎの道となった。写真左はわずかに切り開かれた部分(12時42分)。尾根を北へ北へと登ると、急に切り開かれた平坦地に出た(12時49分、写真右)。手前に平坦地があり、奥に小高い小山状の上にコンクリートの残骸が露出している。戦争中の防空監視所の跡であることは一目瞭然である。ちなみに小高い小山状の地形は明らかにマウンドであり、古墳であることを物語っている。防空監視所設置の際に一部破壊されているため墳形を推し量ることは困難だが、おそらく円墳であろう。墳頂には盗掘穴もある。ここからさらに尾根伝いに登る。
尾根は北西方向に一瞬向きを変え、ピークを経て今度は北東方向に向きを変えて伸びている。ここまで来ると踏み跡はほとんどない。私もピークから北へ下りる尾根に一瞬迷いかけ、コンパスで北西へ伸びる尾根を予測した末にこれを確認した。北西へ伸びる尾根は大平山山頂まで伸びずに山頂直下の山腹に消える。ここからは山腹を無理矢理登ることになる。13時06分山頂に到着(写真左)。下山路は往路を下るが、極めてわかりにくいため赤テープを巻いて目印をつけ、さらに目印からコンパスで下山方向を確認しておくことにした。山頂には他の登山者は訪れないらしく、山頂を示す標識はおろか、登頂記念に登山者が結びつけていくプレートの類もなかった(写真右)。眺望は全くきかない。山頂に埋設された三角点は四等三角点で、国土地理院の「点の記」によると所在地は本巣町大字文殊字北ヶ谷2259番地となっている。
帰路は慎重に方角を確かめながら、往路を戻った。ところで大平山で特筆すべことは、山頂に至るピークに築かれた古墳である。標高約170mの地点に築かれた古墳は北ヶ谷1号墳と命名された前方後方墳である。ざっと歩測したところ全長は約60m、後方部は一辺約35m、高さ5m、前方部幅は約30m、高さ3mを測る。遺存状態は極めてよく、歩いた範囲では埴輪は認められないが葺石の存在は確認できる。写真左は古墳の主軸左側で、前方部から後方部にかけてのくびれ部分にあたる。写真右は主軸右側で、これも同様に前方部から後方部を見たところである。マウンドの始まりは極めて明瞭で、余り人が訪れない山頂によく残っている。北ヶ谷1号墳については詳細はよくわかっていないが、墳形が前方後方墳であることや、埴輪が見られないことから3世紀末から、下ったとしても4世紀中葉に比定する考えが提示されている。北ヶ谷1号墳以外にも今日歩いただけでも何基かの古墳が大平山に築かれていることが認められ、古式の古墳群として興味はつきない。
帰路に舟木山を見下ろす(13時29分、写真左)。舟木山古墳群と大平山の古墳群との関係などいろいろ考えは頭の中をめぐるが、今日の体調ではこれ以上は無理。また後日ゆっくりと訪れたい。下山口は八幡神社横である。写真右は中谷から大平山を見たところ(13時57分)。

※昨年春に祐向山で出会った登山者が、祐向山から尾根を縦走して大平山へ行こうとしていた。私が地形図とコンパスを持っているかどうか聞くと、どちらもないといって、ガイドブックを見せてくれた。たしかに大平山を経由して下山する1日コースが書かれていたが、そのガイドブックの筆者がこのコースを実査したかどうか、またしたとしても最新のデータに基づいて執筆されたものかどうかは極めて疑問である。先に出会った登山者は私の意見を聞いて、往路を下山していったがこれは絶対に正解、だと思う。この山を歩くには、コンパス、25000の地形図、赤テープは必携である。標高が低いからといって甘く見ると大変なことになる。古墳を示す標識など何もなく、もし藪こぎをしてこの山を訪れたとしても見過ごしてしまうかもしれない。でも、それでもいいのではないか、と思う。今日までこのような姿で残っている地域の遺跡を、自然と共に大切にしていきたい。ところで体の方だが、ずっと鈍痛に悩まされながらの山歩きだった。はやく万全な体調を取り戻したい。とにもかくにも、こうして2004年の山開きと相成ったのであった。