2003年11月23日
滋賀県木之本町古橋より

今朝は冷え込んだ。朝自宅前で外気温は1度を指していた。昨日は一日時雨れていたため、今朝の天気によっては養老山を考えていたが、外を見るとまだ暗いながら一面の朝霧。これは天気が良くなりそう、と急遽行き先を己高山へ変更し、自宅を6時55分に出発。次第に霧が晴れると、山の上が白くなっていることに気づく。揖斐谷の山々に今年の初冠雪がやってきた。去年より1週間ほど遅いような気がする。八草トンネルを抜けて滋賀県に入り、金居原を過ぎたあたりで横山岳を振り返る(7時30分、写真左)。双耳峰の冠雪はまるで墨絵のようで美しい。7時45分に己高庵に到着。林道をもう少し車を入れようかとも思ったが、己高庵の駐車場を利用させていただくこととする。己高庵の後ろには頂を白く染めた己高山がどっしりと控えている(7時51分、写真右)。
林道の空き地には一台の車もない。どうやら今日最初の登山者となったらしい。冬前の熊との遭遇はありえないわけではない。カウベルだけでは心許なく、胸ポケットに携帯ラジオを入れて歩く。林道をしばらく歩くと、登山口に到着(8時18分、写真左)。ここから尾根へとりつく。尾根の先端には削平地があり、己高山が山岳信仰のメッカとして盛んだった頃の何らかの施設が設けられていた可能性が強い。尾根上を歩く登山道は岩盤が露出している上に落ち葉が積もり、さらに濡れているため大変滑りやすい。この登山道は登り専用でしか使ったことがないが、それで正解だろう。「蜂に注意」という看板が登山道に下がっているが、この寒さでは蜂もなかなか動く気にはならないだろう。最初の急登を一気に登ると、少しずつ傾斜はゆるやかとなり、送電鉄塔のため切り開かれた所からは琵琶湖を見下ろすことができる(8時43分、写真右)。空は抜けるような青さで、どこまでも澄み切っている。いっぱいシャッターを切っていると、なかなか先へ進まない。
8時59分、六地蔵に到着(写真左)。定番の休憩ポイントで、ここで大休止。空気は冷たいが、風がないため体感温度はさほど低くなく、結構汗をかいている。ひっそりとたたずむ六地蔵は近江最古の六地蔵という。阿弥陀如来を中心に左右に三体ずつ置かれている。六地蔵が安置されている場所は己高山の稜線の傾斜の変換点で、ここでいったん等高線が緩やかとなる場所である。周囲には明らかに土塁が設けられていて、三方を土塁で囲まれた方形区画の中には礎石と考えられる扁平な角礫も散見される。前方の土塁の下は堀切状にくぼめられている。写真右は六地蔵の背後の紅葉。ところでこのあたりには地元の高時小学校が、地域のボランティア先生や保護者とともに隔年で登山と植樹をしている。2001年の11月4日にここを訪れたとき、彼ら一団と遭遇し、鶏足寺跡では地域ボランティアや保護者を前にして、本堂跡に勢揃いした児童の歌声まで聞かせていただいた。今年は登山の年なので、てっきり植樹がされていると思ったら、どうも見あたらない。今年はどうしたのだろうか、と気になってしまう。
9時10分に六地蔵を出発する。やがて仏供谷からの登山道と合流してさらに尾根を登る。送電鉄塔のため切り開かれた鉄塔巡視道へ寄り道をして、己高山山頂を見上げる(9時19分、写真左)。昨晩降った雪が、朝日に輝いている。写真左の針葉樹林帯の中に鶏足寺跡がある。9時29分、馬止め岩(写真右)。かつて鶏足寺へ荷を運び上げた馬もここまでだったという伝承の地。
馬止めを過ぎるとすぐに牛止め展望台に着く。ここからの湖北と琵琶湖の眺めはすばらしい(9時31分、写真左)。中央の山は山本山。山本山から右へ派生する尾根は、発生期の古墳群である古保利古墳群が密集する稜線。紅葉が美しい。展望台を過ぎるとすぐに牛止め岩(9時32分、写真右)。馬よりも登坂力がある牛も、この岩までだったという。ここからは人力で荷揚げをしたといわれている。
標高800m近くになると付近に雪が見られるようになった。雪が溶けるしずくが落ち、まるで雨が降っているようだ。登山道の落ち葉の上にも雪が(9時50分、写真左)。そうこうしているうちに、鶏足寺跡に到着(9時57分、写真右)。周辺には削平地が数多く見られ、かつての己高山信仰の隆盛を物語っている。庭園跡や礎石を持った本堂跡、塔跡も明瞭だ。今は落ち葉に覆われていて表際はできないが、春先訪れると庭園跡周辺には無数のかわらけ片を認めることができる。かわらけ片は本堂跡やその他の削平地では認められず、かわらけを使う儀式、平たく言えば宴会は庭園跡で行われていたか、などと想像してしまうのも楽しい。
本堂前の宝篋印塔にも雪が(写真左)。本堂前の削平地からあと一歩先の山頂を見る(写真右)。己高山山頂には三角点があるが、思ったよりも眺望はきかない。この先の雪どけのぬかるみちを考えると、今日はここまでと、湯を沸かしてのんびりするとしよう。それにしても時間が早いせいか、誰一人出会わない。何と静かなことか。
鶏足寺跡から琵琶湖を望む。春や夏には全く見えない琵琶湖も、落葉した樹木の間から望むことができる。11月上旬にはいつも紅葉真っ盛りだが、11月も下旬となるとやはり晩秋。10時30分、誰もいない鶏足寺跡を後にする。下山し始めるとすぐに、年配の7〜8人の一団が登ってきた。この好天。やはり人は登ってくるものだ。帰路もすばらしい好天をしっかりと味わう(10時57分、写真右)。胸ポケットのAMラジオは10時30分から2時までのサザンとビートルズの特集番組を流している。抜けるような青空と、鳥の声、谷の音、それにサザンとビートルズの曲とくれば、もう他に何もいらないではないか。
11時01分、仏供谷への分岐に到着。いつものように帰路は仏供谷へ下りることとする。写真左は分岐近くの紅葉した樹木(11時08分)。仏供谷への下山路に入ってすぐ、多数の足跡に気づく。先ほどの一団としか考えられない。この道を往路に使うとは妙だな、と思うとじきに2人連れがここを登ってきた。これまで何回も己高山を訪れているが、この下山路で人とすれ違ったことは一度もない。これはどうしたことか。11時26分、林道に下り立つ(写真右)。ここからは林道歩きとなる。しばらくして地図を片手に、初めてここを訪れたらしい高年の男性が1人で歩いてきた。これは変だ。11時39分、登山口に着く。行きは暗くて気づかなかったが、よく見ると「己高山登山道」として仏供谷を指す手書きの小さな板がつけられている。しかも「コチラガラク」と付記してある。これならば初めての人が仏供谷から登ろうとするのも無理はない、と納得した次第。12時ちょうどに己高庵に戻り、ロビーのソファーを拝借してくつろいだ次第である。

※己高山への登山道は、この他にも石道寺方面から登るルートがある。己高山信仰隆盛期のメインルートはやはり今日の往路だろう。ちょっとしんどいが、往路は尾根道を、帰路は仏供谷ルートをおすすめしたい。仏供谷には多数の削平地があり、かつての僧坊の存在がうかがわれる。鶏足寺は明治末には本尊などはすべて山麓におろされ、現在では己高閣、世代閣に安置されて見学することができる。己高山は近江のほぼ全域から仰ぎ見ることができ、山岳仏教の中心地であったことも十分にうなずける。山本武人「近江湖北の山」(ナカニシヤ出版、1985年)には高時小学校の校歌「己高団歌」が紹介されているので、孫引きし紹介させていただく。「仰げば高く己高の そびゆるふもと我が郷土 心を磨き身をきたえ あしたに夕に向上の 一路にたどらんもろともに いざや少年己高団」。