金華山(330m)
2003年9月15日
福井県大野市勝原(カドハラ)スキー場より

前日の石津御岳があまりにも涼しかったことに気をよくして、今日は荒島岳を目指す。とはいっても荒島岳は1500メートル級の山。残暑厳しいこの季節を考えると、昨日の教訓を生かして登りは早朝に限る。と、自宅を3時15分に出発。八草トンネルを抜けて、木之本インターから北陸道に入る。八草トンネルあたりから路面が濡れている。天候を心配しながら、ともかく車を走らせる。本当は冠峠を越すと早いのだが、最近の道路事情がわからないため少々の迂回である。福井インターで高速を下りて、コンビニでいろいろ買い込んだりして6時に大野市勝原のカドハラスキー場駐車場に到着。駐車場にはテント組を含めて、もう7〜8台が駐車していた。朝食を作っている人やら、テントから顔を出す人など、これから活動に入ろうという具合。しかしすでに出発している人もいるらしい。天候は晴れなのだろうが、荒島岳にはガスがかかっている。北風が吹いているので、晴れることを期待して登山届けを出して、6時15分出発(写真左)。荒島岳は標高は1500メートルをわずかに越すぐらいだが、標高差は1200メートルもある。しかも残暑が待ち受けているに違いない。これは侮れない、と自戒しながらゆっくりと足を進める。しばらくはスキー場のゴロゴロ斜面を歩く。スキー場はリフトが2本かかっていて、冬場はリフト終点まではこれを利用できるらしいが、夏場はただひたすら急斜面をあえぎながら登るしかない(写真右)。前後に人影は見られない。たった一人の静かな山歩きである。
6時53分、リフト終点に到着。ここで最初の1本をとる。日差しがなくて歩きやすかったが、炎天下だったら何も日光を遮るものがないここまでの道。ここからは深い緑の樹林帯へと登山道は延びている(7時42分、写真左)。前日夜の降雨のせいか、赤土の登山道はぬかるんでいる。なんでもないような登りにもロープがかかっていて、滑りやすい道に辟易する。これは下りの方がやっかいかもしれない。樹林帯をしばらく歩くと、所々に板が打ち込まれた階段が見られるようになった(写真右)。登山者の急増によって、勝原からの登山道が荒れてきたための整備であるらしい。しかし、急斜面につけられた階段は一段一段の高低差が大きくて歩きにくいせいか、これを使わずに横を歩く人がまた増えているらしい。横を歩きたくなる気持ちはよくわかるのだが、これではますます荒れていってしまう。とはいっても、やはりこの階段は歩きにくい。
8時16分、しゃくなげ平に到着しここで大休止。4〜5人の登山者がここで休んでいた。中出からの登山道とここで合流するが、この日は中出からの登山者はほとんどいなかったようだ。急登が待ち受けていても、やはり駐車スペースやトイレが整備されている勝原スキー場から登る人が多いようだ。しゃくなげ平とはいっても、見た限りしゃくなげは見あたらなかった。ナナカマドが赤くなりかけていたが、今夏の不純な天候のためか少しくすんでいるようだった。ここを過ぎると、山頂までは1時間だが、やっかいな急登が待っている。8時41分、シャクナゲ平から登山道は少し下って、佐開からのコースと合流する。佐開コースは土砂崩落のため、現在利用できないと聞く。再び登りに転じた山頂までの登山道に一瞬だけ顔を出した小荒島岳(写真右)。中出コースをとった場合は逆に小荒島岳から荒島岳が見えるはずだが、またいつかのお楽しみ。樹木の向こうには、小荒島岳手前にシャクナゲ平が見えている。この後すぐにガスが上ってきたため、視界は眺望はきかなくなってしまった。山頂手前には急登の階段と、階段につけられた鎖場が立ちはだかる。階段に鎖場というのも変な感じだが、急登に階段の1段1段の高低差は大きく、しかも一部崩壊しているところもあって、鎖を頼らざるを得ない部分もある。かなりやっかいな道だ。鎖場を過ぎてもまだ急登の階段が続く。ここで福島県から来たという20人ほどの団体に追いつく。お言葉に甘えて、先に行かせていただくが、ここは狭い道と急な傾斜が続き、多数の登山者でにぎわう紅葉シーズンにはすれ違いもままならないだけろう。
9時16分、山頂に到着。一面ガス、またガス。この中を7〜8人の登山者がすでに到着していた。山頂の祠に手を合わせて、広々とした山頂に腰を下ろす。山頂は北西の風が強く吹いていて、汗に濡れた体には涼しいと言うより、寒いほどだ。着替えた上からウインドブレーカーに袖を通す。そうこうしているうちに、先に追い越した団体さんが到着。横断幕を持参して記念撮影には参った。横断幕には「百名山紀行の会」とあった。荒島岳は一等三角点が埋設されている。「点の記」によると点名は荒島山となっている。さすが一等三角点、立派な三角点だ。晴れていれば眺望はすばらしいのだろう。山頂にはこのように見えると、山々の姿が描かれた看板が設置してあった。
山頂は夏と秋が同居する不思議な空間だった。まだハクサンフウロが咲いているかと思えば(写真左)、リンドウもあちこちに咲いていた。山頂のナナカマドは赤く色づいていて、季節は確実に秋へと向かっているようだった。山頂のガスは結局晴れないまま、9時40分、山頂を後にする。往路では時々頭を見せていた小荒島岳は、一面のガスの中で、何も見えなかった。驚いたことに、昼近くなってもどんどん登山者が訪れる。標高が低いせいか、早朝に登山を開始する人ばかりではないらしい。しゃくなげ平をすぎて、階段にさしかかる頃には、いつの間にかガスも晴れ、真夏を思わせる強い日差しが降り注いでいた。急登を登ってくる登山者の額には、汗が噴き出ていた。行きには滑りそうで心配した登山道も、少し乾いてきたせいかそれほどでもなかった。12時6分、勝原スキー場に到着。最後に待ち受けていた炎天下のゴロゴロゲレンデ歩きは、今日の行程で一番つらい行程だったかったかもしれない。帰りに大野市吉付近から荒島岳を見たが(写真右)、やはり山頂付近はガスがかかっていて見上げることはできなかった。
※荒島岳は山岳信仰の対象となった山で、山頂の祠には石仏が安置されている。荒島岳山麓は縄文遺跡が多く知られている。大野市右近次郎遺跡は縄文時代中期後半から後期前葉にかけての拠点的集落跡であり、佐開遺跡は中期と晩期の遺跡であることが知られている。この荒島岳を縄文人はどのような思いで仰ぎ見たのだろうか。
*荒島岳について某HPでは「もう一度訪れたい山かというと???」と紹介されていた。ぐちゃぐちゃの登山道を思うとなるほどとうなずけようというもの。しかし、登って1週間もするともうその難儀さは忘れてしまい、紅葉最盛期はどんな山の姿を見せてくれるのかと思ってしまう。深田久弥氏は百名山の選定に当たって、能郷白山とこの荒島岳で迷ったという。しかし美濃の人間にすれば、荒島岳は美濃から見ることはできない。それよりもやはり「権現さん」で親しまれた能郷白山が、白山信仰の歴史からしても思い入れが強いことは間違いない。選者が美濃の人間ならば確実に能郷白山に軍配をあげることだろう、などと思ってもみながらの山歩きだった。