安土山
2002年11月16日
滋賀県蒲生郡安土町より
 

安土城駐車場より安土山を望む 紅葉に彩られた安土城碑
約2週間続いた、季節はずれの(?)寒波も去って、今日は朝から快晴。おまけに風もないとくれば、絶好の山行き日和。仕事の都合で日月と連休になったのを幸いに、どうしようかと悩んだあげく、まず今日はハイキングと決定。場所は車で2時間ほどの滋賀県安土山というより安土城。というのも、参加者の1人が自動車運転免許を先日めでたく取得したため、本日は免許公布後初の自動車運転をかねて、としゃれこんだ。あとの2人は、運転者にああだ、こうだといい、運転者からは疎まれつつも、まずは快適なドライブで無事に安土城見学者用駐車場に到着。
 10時15分に大手道より安土山を歩き始める。安土城碑は色とりどりの木々に囲まれて実に美しい。自ずと気分も軽やか。山麓は発掘調査中でこの日はビニルシートで現場が保存されていた。青いビニルシートが定番だが、茶色のシートも使われていた。紅葉との景観バランスを考えたのかな、などと話しながら歩く。

南から一直線に伸びる大手道 伝羽柴秀吉屋敷跡背後の石垣
大手道は発掘調査の成果を生かして、現在整備が進められている。急峻な石段と両側に配置された側溝が安土城築城当時の作事を忍ばせる。安土山は琵琶湖に突出した南北に細長い山だが、その最高点を中心に安土城が築かれている。大手筋は南で、かつてはその前面に水をたたえた堀が設けられ、他の3面は琵琶湖で囲まれていた、「水の城」だったらしい。現在は干拓されて、その面影はない。しばらく登ると左手に伝羽柴秀吉屋敷跡が復元されている。曲輪は2段に配置され、下段にはかつては櫓門が設けられていた。櫓門の礎石が一部現存している。背後の石垣の高さには驚かされる(写真右)。

新しく整備された大手道 黒金門跡の礎石
南から一直線に山上を目指した大手道は、しばらくすると、左へ折れる。ここは数年前に発掘調査が完了した所で、調査では古墳時代の箱式石棺も出土している。復元に際しては、箱式石棺は除かれ安土城築城に戻って石段が整備された。現在の大手道は左に折れた所でハ見寺口へ伸びる尾根と合流して黒金門跡へ至っている。黒金門は天守を中心とする内郭の虎口と考えられていたが、発掘調査の結果は大手道は黒金門へは続かず、直接1の曲輪(本丸と称されている部分)へ続いていることが判明している。安土城焼失後の後世の改変がこにも見られる。写真右は外桝形に馬出が加わった黒金門の遺構。防御性と攻撃性を兼ね備えた施設といえるだろう。

天守台より琵琶湖を望む 西の湖を見る
1の曲輪(本丸)の礎石群を見学して、天守台へ上がる。時計は11時15分。遺構をいろいろと見学しながら、のんびりと1時間かけて歩いてきたことになる。左は天守台石垣の上から琵琶湖を望む。遠くには比良山系も見える。帰路はハ見寺への尾根道を降りる。写真右はハ見寺三重の塔上の削平地で、西の湖が見える。ここで運転者を除いてビールで乾杯。あたたかい日だまりでゆっくりとした時間を過ごした。無数の曲輪や削平地を両横に眺めながら、百々橋口へ12時15分に下山。のんびりとした2時間のハイキングだった。その後、安土城考古博物館を見学。特別展は開かれていなかったが、常設展が少し模様替えしていて、前よりも展示資料が増えたように思う。遺物が多く展示されているのは歓迎である。あまりにも時間が早かったので、車で観音正寺へ上がった。かつて観音寺城の一部を歩いたことがあり、無数の階段状削平地に唖然とした覚えがある。平成5年に焼失した本堂の再建工事が始まっていて、たくさんの参拝者が訪れていた。車で楽をしたが、やっぱり山は歩いて登るのがいい。
 さて、参加者の本日の初運転だが、初めてにしてはなかなかの運転ぶりだった。他の2名はおかげでビールを飲めたわけで、感謝の言葉しかないのであった。